議員提出議案第1号
旧鳥取高等農業学校玄関の建物の存置を求める決議
この議案を別紙のとおり提出する。
平成25年3月7日
旧鳥取高等農業学校玄関の建物の存置を求める決議
旧鳥取高等農業学校(以下「鳥取高農」という。)は、全国で3番目の国立高等農業学校として、大正10年に開学し、その後、昭和24年に鳥取大学農学部として再スタートしている。
開学以来、世界的に有名な乾燥地研究センターにおける乾燥地研究、鳥取県の特産物である二十世紀梨、しいたけ、米の改良などに取り組み、鳥取県の農業振興に大きく貢献するとともに、優秀な人材を育ててきている。
鳥取高農の校舎は、開学を望む県民の募金によって鳥取市南吉方に建設された。後身の鳥取大学農学部が昭和41年に鳥取市湖山町に移転し、旧敷地には当時の高田鳥取市長によって、鳥取三洋電機が誘致され、工場として活用された。
その後、同社の事業拡張等に伴い、鳥取高農の旧校舎は平成13年には全面解体される予定であったが、保存に向けた市民運動もあり、歴代の鳥取市長や鳥取三洋電機の配慮によって、旧校舎の玄関部分の建物は、鳥取高農のシンボルとして今日まで存置されてきた。
このたび、三洋電機は、同社の事業再編により、鳥取市南吉方の工場の閉鎖、更地化を決定し、鳥取大学農学部同窓会に対して、旧校舎の玄関部分の建物も解体する方針であることを通告しており、今年3月には当該建物の解体工事に着手している。
企業は、利益追求のみならず、地元と共に共存共栄し、共生することも強く求められていることは、論を待たないところである。
当該建物の建築を設計・指導したのは、文部省大臣官房建築課長だった柴垣鼎太郎氏。柴垣氏は重要文化財に指定されている中央停車場(東京駅)や日銀本店を設計した日本を代表する建築家である辰野金吾氏の愛弟子であり、大正、昭和初期の代表的建築家の1人である。アーチ型の玄関などルネサンス風の外観が特徴であり、とりわけ、昭和27年の鳥取大火で市街地の大部分が焼失した鳥取市にあって、大正期の貴重な建築物である。県や市指定文化財に相当する由緒ある建物で、県民が誇る貴重な文化遺産であり、県民共有の財産である。
よって、鳥取県議会は、旧校舎の玄関部分の建物の解体に強く反対し、県においては、当該建物が県民の財産として保存されるよう関係者に働きかけるなど尽力されることを強く求め、ここに決議する。
平成25年3月7日