明治

明治
5年

4月  議会大体条例布告(上意下達、下情上通=諮問機関として)

5月

 鳥取最勝院町183番地慶安寺に仮議事所が設けられた。

9月

 鳥取若桜口惣門内(現鳥取市役所附近)議事所設置

7年

3月

 議事規則改定(議長、副議長、内議員、外議員をもって構成、会期は、2・5・8・11の各月の15日より4~5日とした。)
 代議人公選入札規則制定

9年

8月

 鳥取県廃止、島根県へ合併

10年

7月  島根県「県会議員撰法」制定(2,000戸毎に議員1人を選出、総数107人、因幡20人、伯書20人)

10月  「島根県会」(地方民会)松江外中原町清光院で開会、議長に因幡の尾崎武久が当選。

11年

7月  府県会規則公布(公選制、議決機関となる。)

12年

2月  県会議員選挙人、被選挙人名簿編成方、選挙会取扱手続が郡役所に達せられた。(選挙するを得る者の資格を「満20才以上の男子にして、その郡区内に本籍を定め、その府県内において地租5円以上納付の者」とし、議員となり得る者を「満25才以上の男子にして、その府県内に本籍を定め、3年以上居住し、その府県内において地租5円以上納付の者」とした。)

3月

4月
 府県会規則に基づく、島根県会議員の第1回選挙。定数49人。うち鳥取県側定数17人(会見郡3人、邑美、日野部各2人、法美、岩井、八上、智頭、高草、気多、河村、久米、八橋、汗入各郡谷1人ずつ。)

5月  第1回島根県会開会、旧鳥取県側選出の松本寛敬(会見郡)が副議長に選ばれた。

13年

12月  島根県会議員定数を50人とした。

14年

3月  臨時県会(このとき議長、副議長、常置委員を設けた。)

9月  鳥取県再置

11月  鳥取県会議員定数、選挙方法に関し通達。議員定数を32人
(会見4人、邑美、久米、日野各郡各3人、岩井、八東、智頭、八上、高草、気多、河村、八橋、汗入各郡各2人、法美郡1人)とした。

12月  鳥取県会議員第1回総選挙(以降2年毎半数改選)

15年

1月  第1回(臨時)県会が旧尚徳館を議場として開会された。
 初代議長に岡崎平内、副議長に遠藤春彦、他に常置委員5人を選出。
 県会議事細則、議事傍聴人心得、議長以下旅費日当、書記俸給定則等を審議。

17年

3月  県会の議場、尚徳館が鳥取医学校校舎となったため、18年11月まで鳥取藪片原町真宗寺を仮議場とした。

18年

11月  県庁新庁舎落成、県会の議場を東町旧県庁舎に移した。

23年

5月

 府県制、郡制公布
 県会議員の選挙は、市会、都会議員による複選制となった。

28年

6月

 県会解散に伴う県会議員総選挙、その結果、大幅に異動があった。自由党13人・保守7人、中立6人、改進1人、不明5人が当選。

30年

4月

 鳥取県「府県制、郡制」を実施
 府県制の施行により、従来の県会の様相が一変し、県会議員定数は30人(岩美郡5人、八頭、気高郡各4人、因幡計13人(旧16人)、西伯郡8人、東伯郡7人、日野郡2人、伯耆計17人(旧16人)となり、常置委員を廃し、これに代るものとして、さらに広範な権限をもった参事会が置かれた。
 府県制施行後、初の県会議員選挙が実施された。

9月

 県会議事堂が新築された。

32年

3月

 府県制全文改正
 県会議員の選挙は、従来の複選制を改めて直接選挙とされた。
 また、従来の2年毎半数改選を4年毎全員改選とした。
 選挙人の資格を市町村公民で、その府県内で直接国税3円以上納付の者とした。

9月

 府県制全文改正に伴う県会議員の総選挙実施
 (選挙区別定数、鳥取市2人、岩美郡3人、八頭郡4人、気高郡4人、東伯郡7人、西伯郡8人、日野郡2人)帝国党15人、憲政党13人、中立2人当選。 中央の政党政治完成への歩みを反映し、本県でも政党意識に基づく政党の形成が進み、憲政党、帝国党等の拡張が図られた。

36年

9月

 県会議員総選挙実施
 (定数、鳥取市2人、岩美郡3人、八頭郡4人、気高郡4人、東伯郡8人、西伯郡7人、日野郡2人)
 帝国党15人、政友会14人、中立1人が当選。

40年

9月

 県会議員総選挙実施
 (定数は、東伯郡が1人減少(7人)し、西伯郡が1人増加(8人)した。他は変らず。)
 政友会17人、帝国党11人、中立2人が当選。

44年

9月

 県会議員総選挙実施
 (定数は変更なし。)
 帝国党13人、政友会12人、中立5人が当選。

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