統計課のホームページ

第2話「鳥取生まれの人はどこへ?―百年前の移住先―」

グラフ「鳥取県出生者の現在地別人口:1920(大正9)年」

 問題です。上のグラフの「???」部分に入る地域は?

 このグラフは、約百年前の第1回国勢調査に基づき、1920(大正9)年10月1日時点で鳥取県出生者が日本のどの地域に何人いたのかを示したものです。全体(496,928人)の84%を占める県内を除けば、第1位は大阪府、2位は兵庫県ですが、続く3位はどこなのか―。

 国勢調査において、「出生地」の設問は1950(昭和25)年以前に限って隔回で調べられました。調査地とのクロス集計が行われたため、各地で生まれた人たちが調査時点でどこに移動していたのかが分かります。今では廃止された設問ですが、往時の社会を知る面白い情報源といえそうです。

 次の写真をご覧ください。県内のある港の付近で撮ったものです(もちろん、百年前ではなく現在の写真です)。このなかに冒頭の問題のヒントが隠されているのですが、お気付きでしょうか?

ある港の付近の写真

 実はこの港、明治時代に問題の地へ向かって移民団が出航した歴史的スポットです。写真の真ん中あたりに見えるのは、出航の史実を記念して1993(平成5)年に建てられた石碑です。碑文のなかには移民団の目的地も書かれているので、拡大すれば問題の答えが分かってしまいますよね...。

正解の写真
「釧路開拓移民団出港の地」記念碑の写真(鳥取市賀露町)

 答えは北海道でした。

 意外だと感じられた方も多いかもしれませんが、鳥取県の近代史に詳しい方なら、明治維新後の士族授産政策による釧路くしろ平野や岩見沢いわみざわの開拓、利尻りしり島への漁業移民などの歴史を思い起こされたはずです。

 もっとも、先ほどの写真が「釧路開拓移民団出港の地」記念碑だとすぐに分かった方は、かなりの少数派でしょう。記念碑は、鳥取港の近く(鳥取市賀露かろ町)の木陰に建っており、移住の歴史を静かに伝えています。拡大写真を見ると、「釧路」の文字もはっきり読み取れますね。

 多くの鳥取県人が新たなフロンティア、北海道へと移住していった足跡は、この碑文のほかにも様々な歴史資料のなかに刻まれ、今に残されています。第1回国勢調査のデータもその一つというわけです。

グラフ注

内閣統計局『大正9年国勢調査報告 全国の部 第1巻』(1928)pp.11-25から作成。

1920(大正9)年10月1日時点における鳥取県出生者を「調査ノ府県」(現在地)別に集計し、上位10府県(鳥取県を除く)のみを表示したもの。

データダウンロード

 明治時代における鳥取県から北海道への移住については、当時の公文書のなかにも記録が残っています。例えば、次の写真は移住関係の名簿や許可申請などが綴られた簿冊で、現在は鳥取県立図書館に所蔵されています。

 これらの公文書や国勢調査のような統計は、これからも未来へ引き継いでいくべき貴重な歴史資料です。

「北海道移住士族名簿」と「屯田兵諸願届一途」の写真
  

最後に本ページの担当課    鳥取県 総務部 統計課
    住所  〒680-8570
             鳥取県鳥取市東町1丁目220
    電話  0857-26-71030857-26-7103    
    ファクシミリ  0857-23-5033
    E-mail  toukei@pref.tottori.lg.jp

Copyright(C) 2006~ 鳥取県(Tottori Prefectural Government) All Rights Reserved. 法人番号 7000020310000