平成23年4月12日(火)午前10時40分から
特別会議室
3月23日以来、またこの県庁の地に踏み入れることになりました。皆さまには、不在中、大変なご苦労もあったかとは思いますけれども、ぜひ、この鳥取県の未来のためにお力をいただきたいと思います。随分今日は、フロントラインを下げておられまして、オフサイドを警戒しているのかどうかよく分かりませんが、ちょっと遠めの感じがございますけれども、ぜひ、もっとこれからも皆さんときちんとした距離感をもって仕事をしていきたいと、ここにお誓いを申し上げたいと思います。「桜、桜、人が、人が、子を歩かせて」井泉水の言葉にございます。本当に麗かな春の陽気になってきました。4月10日、投票日でございましたけれども、私も投票所にいくわけでございますが、当然、夫婦で2票、もったいないものですから、当然行くわけであります。久松公園の下のあたりをずっと歩いていくわけでありますが、たくさんの人が歩かれておられて、ご家族連れがおられて。ただ、やっかいなのはその日は選挙運動をしてはいけない日でございまして、握手を求めるわけにもいかず、向こうから話しかけられてもこっちでよろしくお願いしますと言うわけにもならず、ただ、にこにこ笑ってるしかないという、そういう日でございましたが、そういう中で選挙戦となりました。
その結果として、この度、前回よりも投票率は落ちましたけれども、前回の票を超える25万5,000票の県民の皆さまのご信任をいただき、91.7%の得票率を得ることができました。これは、歴代の鳥取県知事選挙でも最高の得票率でございましたし、今回行われました統一地方選挙の首長選挙の中でも際立って他県よりも高い、そうした得票率となりました。私は、この得票率を見て、皆さまと共に歩んできたこれまでの4年間、これが評価されたんだと率直に1つには受け止めさせていただきました。その意味で、同志として4年間一緒にやってきた皆さまに、この場で感謝を申し上げたいと思います。そして、これで終わりではないこと、むしろ、私たちは、今、スタートラインに立っている者同士として、これからの4年間、私には任期がございますので、しっかりと県民の負託に応えられるように仕事をしていこうと思いますが、皆さんからも、ぜひとも責任を自覚していただき、これまでの県政が評価されていることも大いに参考にしていただいて、動いていただければいいのではないかというふうに思いました。
17日間、県庁を離れた選挙運動をさせていただきまして、実際、村々を渡り歩くわけであります。津々浦々歩き回った、走り回ったわけでございます。そうして、県庁に久方振りに帰ってみますと、思うわけでありますが、ひょっとするとこの鳥取県庁という空間は仮想空間なのかもしれないと思えるわけです。本当の私たちが依拠しなければならない、政策を考え、そして実行をしなければならないのは、この県庁の外のところでありまして、私たちはいろんなインターネットや電話やら、あるいはさまざまな団体などの情報が入ってきて、それを聞いているような感じで、実際は全部コントロールしているような錯覚に陥りますけれども、それはあくまでもバーチャルな話であります。皆さまに、この機会に申し上げたいのは、現場に出ていく、その姿勢を、ぜひにでも貫いていただきたいと思いますし、早速にでも動いていただきたいと思います。
今、この県庁のバーチャルな空間の外では何が起きているか、それは大変な経済だとか、雇用の問題、東日本大震災の影響、そうしたものが渦巻いております。中山間地域では果たしてこの集落がもつだろうかという不安感があったり、お年寄りや子どもたち、その健やかな暮らしを支えるためのサービスを必要としています。中には買い物すら難しいという地域があったりします。そういう中で、我々は現場と向き合って、県民と地域のための県政を作り上げていかなければならないと思います。ぜひ、皆さんは、今日は幹部の職員のかたがここにおられますし、また、この放送を見ていただいている県庁職員の諸君もいらっしゃると思います。そのことを肝に銘じて、再スタートを切っていただく、フレッシュな気持ちでやっていただきたいと思います。これまで4年間が、我々がもし評価されたことがあるとすれば、それは今までの県政とは違って県民との距離感をかなり近く取ったこと、団体だとか、市町村だとか、そうしたさまざまなセクターとの距離感を縮めて、一緒になって動こうやという動きに転換をしたことが1つあるかと思います。それから、スピーディに物事に対処しようと、雪害のことだとか、あるいはいろんな災害もございましたし、口蹄疫だとか、鳥インフルエンザの問題もございました。いろんなことが突発的にやってきますけども、全国の中でもスピード感が持てたのは鳥取県庁ではないかという、そういう信頼感が県民の中に出てきたんだと思います。こうしたところは大切にして、ぜひ信念を持って突き進んでいただきたいと思います。
ただ、残念ながら、じゃあ、我々が今までやってきた4年間で県民の生活は向上した、言わば理想のレベルまで達したかどうか、そこを問われますと、いや、まだまだこれもやってほしい、あれもやってほしい、何だったら私たちも汗をかきますぞと、そういう県民の声が沸々としているのもまた事実なんです。現状で終わるわけではないということを、ぜひ、皆さまには肝に銘じていただく必要があるかなと思います。私は、今、日本は変わろうとしていると思うんです。日本が東日本の大震災という、そういう大きな出来事を経て、脱皮をしなければならない、作り変えなければならないという時期に入ってきていると思うんです。そういう中で、鳥取県は責任を果たしていかなければならない、そういう時期だと思います。時代の変わり目にあると思います。私は、歴史の分水嶺と言っていい状況ではないかと思うんですが、相次ぐ災害であるとか、それから少子高齢化であるとか、またグローバル化やあるいは経済構造が変わりまして、県内はもとより、全国での景気が低迷をしてくる、そういう時代へと入ってくる。
そういう中で、じゃあ、私たちの社会のシステムを組み変えなければならない、地域で新しいシステムを作り上げていかなければならない、そういう歴史の分水嶺に立っているんだと思うんです。その向こう側に広がっている地平を、皆さんと共に作り上げていかなければいけないのだと思います。「おうい雲よ、ゆうゆうと、馬鹿にのんきさうぢゃないか、どこまでゆくんだ、ずっと磐城平までゆくんか」そういう山村暮鳥の歌がございますけども、これは茨城にいた暮鳥が、福島の方に流れていくその雲を見遣って歌われたものだと思います。その地域が今や、東北・関東の被災地域でございまして、昨日のマグニチュード7.0の大きな余震があったのも、まさにその地域でありました。こういうふるさとを一変させるような、そういう出来事が起こり、実に今でも2万6,000人というかたがたが亡くなられたり、行方不明になっている。阪神大震災の時は、2人の行方不明であった1ヶ月後が、今まだ見つからぬかたがたで溢れているということであります。それで、避難されるかたがたもおられますし、昨日の状況で言えば、福島第一原発に関連をして緊急避難を行う、あるいは計画避難を行う、そういう緊急の避難の準備を行う、あるいは計画避難地域ということで指定をされたりして、20km圏内はもとより、30km圏内、さらにその外へと状況は変わってきています。そうしたかたがたの、今度は受け皿だとかですね、そこで失われてしまった経済活動や社会生活、それをどうやって国全体で補っていくか、これが問われるようになってきました。
たった今も、災害の応援隊を見送り、保健師などの部隊を見送りましたけれども、こういうように鳥取県は、被災地域への支援をぜひともやっていかなければならない、これはまず1つだと思います。ただ、あと、もう2つ目の方は、今の震災の影響が日本全土に及んできて、そして、この国全体をやり変えなければならない、その中で鳥取県が役割を果たす、これが2つ目のところだというふうに思います。そういう意味で、皆さんには、このときに国全体を背負わなければならないこともある。その意味で、前を向いて突き進んでいかなければならない、そういう気概を持っていただきたいと思います。そうでなければ、この国全体が徐々に沈み込んでしまっていくことになろうかと思います。
私は、皆さんと共に次の県政テーマとして、未来づくりを掲げさせていただきました。これも単なる未来づくりではなくて、県民の皆さんと一緒にやる、「みんなでやらいや未来づくり」というテーマとさしていただきました。つまり、県庁だけが一人芝居を打ってもしょうがないわけでありまして、県民の皆さん、企業さん、あるいはその学術研究機関やら市町村、そうしたいろんなセクターの皆さんと、顔が見えるネットワークを組んで、そして、この県全体を押し上げていく、未来を作っていく、それが求められるからであります。それで、敢えてみんなでやらいやという言葉を付けさせていただきました。そしたら、福部の方に行ったら、この辺ではやらいやとは言わんと、やらんかいなだと言われて、仕方ないんで福部の中ではみんなでやらんかいなと叫んでおりましたけども。そういうように、いろんな人たちと一緒になってやっていく、これは、実は民主主義の基本であり、地方自治の基本ではあるんですけども、できそうでできてないのがこの日本っていう国の現実だったと思うんです。それで、私たちのこの鳥取県から新しいそうしたスタイルを作っていきたいと思います。その意味で、パートナー県政を進めようと思います。
これは、県庁ですね、昨年度、ようやっと全国でも透明度ナンバー1になりました。こうした透明度の高い県庁を私は庁内の皆さんと一緒に品質保証をしていきたいと思うんです。クオリティとして保証する。鳥取県庁挙げて保証する。常にオープンで、そして透明度は高いですよ。今の原子力行政を見ていると、私はもう一つ透明度がよく分からない。もっと最初に詳らかにして、きちんとした議論をして対策を打っていたらこういうことになったんだろうかと思えなくないところがございます。鳥取県庁は、ぜひとも透明度を高くして、全国のトップリーダーであり続けたいと思います。それを前提にしまして、住民投票などとか、あるいは、県民参画アンケートとか、そうしたさまざまなツールを入れ込んだような、住民参画の基本となる憲法のような県民参画基本条例を検討したいと考えております。これは、すぐにはできないと思います。時間をかけて、有識者だとか、県民の皆さんにも入っていただいて、議論をして、練っていく必要があるかと思いますが、こういう思い切った従来の県政のありかたに対する改革を行っていきたいと思います。
それから、第2点目としては、産業の未来を開いて、雇用を作っていく必要があると思います。経済成長戦略を皆さんと共に昨年制定をさせてもらいました、動き始めました。ただ、まだまだ胸突き八丁なんですね。例えば、電気自動車の工場を1つ造ることでも、ご想像に難くないと思いますが、トヨタだとか、日産だとか、そうした大企業と渡り合って、小さな鳥取県でベンチャー的に電気自動車を作るっていうのは、これは相当なエネルギーもいることでありますし、大いなる挑戦であります。そういう意味で、皆さんには、ぜひ、そうした配慮がまだまだありますので、闘う気持ちで向かっていかなければ道は開けてこないと思います。今、観光でもそうでございますけども、大交流時代を開こうとしてやってきました。幸いこの4年間で一応の結果は出してこられたと胸が張れると思います。ただ、アテナでしっかりとうまい土俵を作ってお客さんも増え始めたところで、風評被害が、今、発生をしているという状況にあります。これ、なんとか乗り越えて、もう一度活力を呼び込んでいくには、相当のエネルギーと知恵が必要であります。
ただ、我々は、不可能を可能にしていくぐらいの気持ちがないと事態は打開できないと考えますので、ぜひ皆さんにも結束して当たっていただく必要があるかと思います。農林水産業だとか、環境ビジネスもそうであります。農林水産業で言えば、新規のそういう就業者を、この県庁は全国のリーダー役として引っ張り込んできたと思います。成功しつつあると思います。今、東北関東で農地を失ったかた、あるいは、水産の世界で、これからどうしようかと考えておられるようなかた、そういうかたを我々の方で受け皿として受けていく、そういう度量がなければいけないと思いますし、必要なことだと思います。そうしたことも含めて、就農者を増やしていくような、やらいや農林水産業プロジェクト、こうした構想を推進していってはどうかなあと考えております。医療や福祉もそうであります。実は労働界のかたがたと意見交換をしたときに、医療や福祉でも雇用の受け皿になり得るということを県庁で意識してほしいという話がありました。私の方でも未来づくりの中に取り込ませていただきました。このようなことを経て、1万人の雇用をぜひ実現したいと思っております。大変な挑戦かもしれませんけれども、そういうチャレンジをしていかなければ、活力はこの県から生まれてこないと思います。
さらに3番目に、安心をつくっていきたいと思います。必要な第一歩のことは、当面必要な第一歩のことは、これは津波対策だとか、原子力安全対策、そうした新しいテーマも含めた危機管理、これを再構築することだと思います。年初の雪害は鳥取県、確かに十分に動けたと思いますし、漁船の支援など、ユニークで先進的なところに着手できたと思います。ただ、まだまだ情報の管理や発信のこと、それから、新しい対策が必要な津波、あるいは原子力安全、ここらはまだ未開拓に近い分野だと思います。もちろん今の地域防災計画の中でも想定はありますけども、市町村も境港市以外では協力してもらっていないというのが現実でありますから、新規巻き直してやっていかなければならない。その意味で、危機管理の体制を早急にこの県庁の中で作りたいと思います。これは一部局の問題ではなくて、全庁の問題だということを肝に銘じていただきたいと思います。
それから、鳥取県というのは少子高齢化が進んできました。高齢化の方から言えば、元気な高齢者が非常に多いです。今どき、選挙関係で車を走らせていますと、朝早くから出ておられるのはグランドゴルフのかたがたでございまして、非常に多くのかたが元気出してやっておられます。そういうことを考えますと、こういう高齢者のかたがたの生きがい、せっかく不老長寿の鳥取県でありますから、それを支えるような、皆が楽しめるような、そういう地域社会を市町村と一緒に構築していく必要があるだろうと、ボランティアだとか、人材バンクだとか、その辺を進めていったらどうかと思いますし、また、万が一、健康を害するような場合など、介護高齢者、高齢者の介護などのことについては新しいシステムを入れてもいいんじゃないだろうか、元気な高齢者が支え合いで介護を必要とする高齢者を支えていく。それで、トータルでは、介護保険が安くなったり、介護予防が進んだりする、こんな政策モデルを鳥取県の中からも作れないだろうか。全国にもいろんな先進例もありますので、その辺も参考にしてやっていってはどうかなあというふうに思います。
バリアフリーのことで言えば、障がい者の対策もございますが、実際まちの方に出てみますと、いろんなかたに出会います。障がい者のかたも一生懸命になって、社会参画を果たそうとしている、それを支えていかなければなりません。また、少子化が進んでくる中で、不妊治療であるだとか、いろんな課題もあります。今の鳥取県政の持っている政策手段では不十分なところ、私は随分あるように思います。癌で悩んでいるかたがた、実際にお会いしますと痛切なものがあります。治せないことはないかもしれない。ただ、県の中ではそれが十分にできないということであれば、周辺の地域も巻き込んで、関西広域連合というような枠組みもございますし、いろんな知恵を出して、一人でも多くのかたが助けられるような、そんな医療や福祉の社会を作っていかなければならないのではないかと思います。こんなようなことで、暮らしに安心を築いていかなければなりません。消費者行政などもそうだと思います。
こうした3つの行政を進めていくためには4つ目のアジェンダとして人財の鳥取を進める必要があるだろうと思います。鳥取から教育改革を起こす必要がある。私はこう信じています。少人数学級も鳥取県として先鞭も付けて今の小学校1、2年生や中学校1年生以外の学年にも拡大をしていくべきだと思います。これは前の片山さんのときのドグマがありまして小学校1、2年生や中学校1年生、これは市町村から協力金をとるというすったもんだがございました。私は、これ、いっぺん水に流してもいいんじゃないかと思います。そこまでは県でお引き受けしてもいいだろうと、それぐらいの体力はこの4年間で職員の皆さまにもご協力をいただいて、財政的にも付けてきたつもりであります。その他の学年のところにむしろ市町村と協力をして学年を拡大していく方へ転換していくべきではないかと、こんなふうに思います。環境大学も、おかげさまで223名もの入学者が得られました。これを考えてもらえば改革の方向性というのは評価されつつあるのだと思います。ただ、まだ不十分です。現実のものにしなきゃいけないと思いますし、実際の姿を作っていかなければなりません。シニア人材バンクだとか、あるいは地域でのまちづくり人材でありますとか、そういう人が財産である人財の鳥取、これを我々の重要なアジェンダとして、私は提起したいと思っております。こういうような4つのアジェンダに挑戦をしながら、鳥取の誇りを作り上げていきたいと思っております。
今、ガイナーレ鳥取もJリーグに昇格をしました。山陰海岸ジオパークも世界加盟を果たしました。いよいよ国際マンガサミットが来年やってきます。このマンガも重要な切り口でありまして、先般、アニカルのまつりというのをやりましたけれども、アニメカルチャー、全然客層が違うんですね、とっても元気のある若者たち、いろんな年齢層が夢中になって参加をします。私は今までの4年間で、鳥取県政が91.7%の得票率を得られるまで、評価をされたとすれば、いろんな夢が見えてきたからだと思うんですよね。分かりやすい形で、こんなふうに鳥取県、面白いことあるんだな、ずいぶんいいところだなと、そんな自信が持てるようになってきた、その材料を、役所の中だけの発想ではなくて、住民の皆さん、広く依拠して、そしてマンガだとか、あるいは自然だとか、環境だとか、そうした分かりやすいところで勝負をかけていくのが本来ではないかと思います。
スポーツツーリズムだとか、エコツーリズムもそうであります。今、水面下でいろいろと交渉してきましたけども、エコツーリズムの国際大会、これの誘致も実現する方向性がでてきました。これも大きな大会になるかと思いますが、そういうことをいろんな皮切りにしまして、これから鳥取県を売り出していく必要があると思います。今年は海づくり大会がありますし、さらに2年後には植樹祭があったりします。大きな、大きなイベントも目白押しでございます。民間とか、鳥取市と協働して、文化の大きな行事も今年度やろうかというような動きにもなってきておりますし、そんなさまざまな仕掛けを通じて、県民の皆さんが面白い、地域づくりに参加しよう、そして県外や国際的にみても鳥取へ行ってみたい、そして住んでみたい、そういうふうに言ってもらえるようなところにしていかなければならないと思います。皆さんと一緒に県民の皆さん、そして地域のために未来づくりを実現をしていきたいと思います。皆さんの、職員の皆さんのご協力をいただきたいと思います。これからこの未来づくりを実現していくために、庁内にその未来づくりを実現するための組織を部局横断的に構築をしたいと思います。今まで次世代改革本部でやってきましたけれども、それは一旦解散をさせてもらいまして、これまで4年間を総括して新しい施策テーマが見えてきましたので、その未来づくりに向けた、そういう新しい新組織を構築してやっていきたいと思います。
皆さんには、この鳥取県を変えて、そして、活力と安心がみなぎる皆が住んでみたくなる、そういう県に変える運動に参加してもらいたいと思います。先頭に立ってほしいと思います。そして、そういう未来づくりを果たしたその延長線上に必ずや日本を再生させる、日本を復興させる、その光が見えてくると思います。我々が頑張ることで日本がもう一度豊かな国へとよみがえってきます。そのことを自信を持って皆さんにも理解をしていただき、そして挑戦をしていただきたいと思います。3,000人の県庁職員がチャレンジをすれば、大抵のことが前へ進んでいくと思います。ベクトルを合わせてやっていきたいと思います。「日本は這入口から桜かな」これは小林一茶の句でございます。日本、今、ちょうどこの桜が満開の季節でありますけども、皆さんとともに、そういう花開く日本をもう一度、皆さんと作っていきたいと思います。
これから4年間、この私、平井伸治も一個人として、そして、県庁の職員として、皆さんとともに存分に働いてまいりたいと思います。皆さんの大きなお力をいただきますよう、お願いを申し上げ、そして、鳥取県政の発展を願い、県民の一つ一つの幸せが一つ一つが大きくなるように願いまして、私の方からの言葉とさせていただきます。どうかよろしくお願い申し上げます。