5月下旬、湯梨浜町にある東郷池を訪れるとカルガモ、オオバン、アオサギ、ツバメ、スズメ、トビ、ハクセキレイなどの野鳥を見かけました。池のほとりでは、セイゴ、コイ、エビなどを狙って釣り人が糸を垂らしていました。
出雲山展望台から望む東郷池(池の奥は大平山、その奥にうっすらと大山が見えます)
今回は、三朝東郷湖県立自然公園内にあって、鳥獣保護区にも指定されている東郷池を紹介します。東郷池は、山陰八景の1つにも数えられる風光明媚な池です。
四ツ手網
南岸の松崎地内には東郷池の風物詩の1つ四ツ手網があります。四ツ手網とは、1辺約9mの網の四隅に竹を張り、湖岸の小屋から滑車で上げ下ろしして、エビや小ブナなどを獲るための漁具です。最盛期には松崎の湖岸沿いに24~25の四ツ手網が並んでいたといいますが、近年見られなくなりました。この写真の四ツ手網は、平成28年の鳥取中部地震で倒壊後に復旧されたものです。
東郷池は、かつての日本海の内湾がふさがってできた海跡湖であると考えられています。東郷町誌は、東郷池の成り立ちについて次のように述べています。
・今から約十数万年前(洪積世)の東郷町の町域は、日本海が奥深く入り込み、大平山と馬ノ山に挟まれた大きな内湾の海中であった。
・約七万年前になると、各河川が山地を侵食して運ぶ砂礫のため、東郷湾の奥部は次第に浅くなった。
・約五万~三万年前のウルム氷期になると、海岸線が数回にわたって大きく後退した。一説によると、一時は海面が100メートル以上も低下したという。また、東郷湾の周辺では河川のたい積作用や、大山の火山活動による中部・上部火山灰などによって、次第に陸地化していったとみられる。
・ウルム氷期の終結後、今から約五千年前に海水面が再び上昇した。この時期が縄文時代にあたることから、この現象を「縄文海進」と呼んでいる。この海進で、当時の海水面は現在より六~七メートルは高かったと推定されている。現在の町域の平野部は大半が海面下にあったことになる。
・やがて縄文海進が終わると、海水面は再び低下して陸地化するとともに、内湾では各河川が運搬する砂礫で埋め立てられ、現在の平野ができ始めた。また、日本海の湾口部では、風波によるたい積でできた沿岸州が西から東へと成長して内湾をふさぎ、海から分離する兆しを見せた。沿岸州は、現在の北条砂丘、長瀬砂丘のもとになる地域で、その上には新しい砂層がたい積していった。約二千年前までのことである。
・約二千年前以降、沿岸州の背後(南側)では、天神川が運ぶ土砂がたい積して三角州的は平野を形成した。現在の羽合平野である。
・このようにして、羽合平野が形成されるとともに、海跡湖としての東郷湖が形づくられていったものであろう。東郷湖に流入する舎人川・東郷川・羽衣石川・埴見川などの運搬・たい積作用で平野が発達し、湖は次第に狭められ、今に近い形に変わっていったと推定される。1)
現在の東郷池周辺の地形をみると、馬ノ山、御冠山、大平山に囲まれ、平坦な羽合平野が周囲に広がり、日本海に面した海岸は砂浜が多いことから、昔の東郷湾時代の様子が想像できます。
現在の東郷池周辺地図
現在の東郷池は、舎人川・東郷川・羽衣石川・埴見川などから水が注ぎます。橋津川を通じて日本海につながっており、淡水と海水が混じる汽水湖です。生息する魚は、ギンブナなどの淡水魚、シラウオなどの汽水域に生息する魚、アユなどの遡上魚が混在するのが特徴です。海産魚も混じります。5月上旬にコノシロのへい死回収に参加しましたが、コノシロは海産魚の1つです。
また東郷池は、冬には多くの渡り鳥が渡来する場所です。湖面は、鳥獣保護区に指定されており、鳥獣の保護を図るために狩猟が認められない区域です。
東郷池周辺には公園が整備され、ランニングやウォーキング、グランドゴルフをする人を見かけます。この風光明媚な東郷池で、池の成り立ちを感じながら、スポーツを楽しんだり野鳥観察をしてみませんか。
記事内の背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものであり、カシミール3Dソフトで作成しています。
<引用文献>
1)東郷町誌編さん委員会『東郷町誌』、鳥取:勝美印刷、昭和63年、20頁ー25頁。
<主な参考文献>
・東郷町誌 東郷町誌編さん委員会/編 東郷町 昭和62年
・東郷湖とその周辺の魚たち 東郷湖天神川サケの飼育放流プロジェクト代表中前雄一郎 2004年
・魚の事典 能勢幸雄ほか/編 東京堂出版 1989年