鳥取県のあゆみ
飛鳥時代~江戸時代
飛鳥時代のころ、鳥取市の久松山付近は鳥取部(ととりべ)と呼ばれた、鳥を取る役目を与えられた人びとが住んでいたことから、このあたりを「鳥取」と呼ぶようになったといわれています。(「○○部(べ)」とは「○○の役割を与えられた人びと」という意味です。)
江戸時代には因幡、伯耆の二つの国を合わせた地域を鳥取藩として池田氏が治めるようになりました。
明治時代
明治4年、廃藩置県により鳥取藩は鳥取県になりました。その後、明治9年に隣の島根県に合併されましたが、士族を中心に「鳥取県再置運動」が起きました。
鳥取県再置を願う地元の熱い思いを受け、明治14年7月、ときの政府の実力者、参議山県有朋(やまがたありとも)が鳥取を視察。
帰京後、山県は「直ちに鳥取県を再置すべき」という内容の復命書を提出し、8月30日には太政大臣三条実美(さんじょうさねとみ)と山県ら4名の参議による会議で鳥取県再置が決定され、明治14年9月12日に現在の鳥取県が誕生しました。
9月12日は鳥取県の誕生日
とっとり県民の日は、いまの鳥取県が生まれた明治14年9月12日にちなみ、県民の一体感を高める日として平成10年に定められたものです。