10月18日は「統計の日」です。といっても、ご存じないかたが多いと思います。
その由来は、明治3年9月24日(現在の暦で10月18日)、当時の政府が地方に対して行った布告です。内容は各管内の物産調査を指示するもので、成果として農林水産業・鉱工業を網羅した製品別産出高が府県単位で公表されました。現代の目で見ると不充分な精度ではあるものの、これが日本の近代的産業統計の先駆けといわれています。
当時の公表資料『府県物産表』から、明治7年の鳥取県で産出高(金額ベース)が大きかったのはどんな製品なのか見てみましょう。
グラフのとおり、米の存在感は圧倒的です。麦の産出高も大きく、主穀生産が県経済の中心だったことが分かります。清酒をはじめとする醸造業も主要産業でした。また、綿類や縫織物類の大きさは綿作や綿織物業が盛んだったこと、金・銀・銅・鉄類の大きさはタタラ鉄の産地だったことを示しています。
明治時代の鳥取県では、かつて主要産業だった綿作・綿織物業は次第に養蚕・製糸業(生糸製造)に取って代わられ、タタラ製鉄も衰退へと向かったことが知られています。『府県物産表』は、そうした変化以前の県の姿を記録するとともに、歴史資料としての統計の重要性を私たちに伝えているのです。
(注)年間産出額が10万円を超える6品目のみを表示。分類区分は資料のまま。
資料:内務省勧業寮編『明治七年府県物産表』(海路書院刊行の復刻版より)。
本ページは、平成26年10月18日付「日本海新聞」掲載の同題コラム(鳥取県地域振興部統計課執筆)からの再録です。