国営中海土地改良事業は、中海の約2,230ha(本庄工区、揖屋、安来、弓浜、彦名)に畑や田などの干拓農地を造るとともに、中海を淡水化して沿岸既耕地約位7,300haに水を送る計画で1963年に事業が始まり、1992年までに4干拓地534ha(揖屋、安来、弓浜、彦名)が造成され、中浦水門を始めとする淡水化施設も建設されました。
事業は当時の米増産政策が背景にあり、成功すれば国内でも最大規模の干拓農地となるはずでした。
しかし、中海の環境問題や1971年からの減反政策など農業を取り巻く状況の変化により、国は2000年に本庄工区干拓中止、2002年12月には淡水化計画も中止としました。
2005年にはこれを受け、国は国営中海土地改良事業の変更・廃止手続きがなされ、中海と境水道を仕切っていた中浦水門が撤去されました。
弓浜および彦名干拓地への淡水化に替わる農業用水の確保のために必要な工事として、米川の改修や干拓地内のため池(調整池)・用水機場・加圧機場等が整備され、2014年3月に国営中海土地改良事業は完了しました。
弓浜干拓地 航空写真
彦名干拓地 航空写真
国営中海土地改良事業 全体図