金屋子神社の台座と大木
ふいごを動かす水車を回す水を蓄えた溜め池
鉄で栄えた往時をしのばせる石垣 |
この集落は山内(さんない)といい周辺の農村とは違う独自の社会を作っていた。米、酒、酢などの食料品は周辺の農村から購入しており、地元の産物の一大消費地でもあった。また農閑期の冬場になると上菅などの集落から鉄穴流しに稼ぎに出ていた人もいた。
・・「奥日野三千軒はタタラで食べていた」という言葉が残っている。
この山内集落は木の伐採により炭焼きにする木が供給できなくなると次なるたたら場へと移っていった。
都合谷たたらのあった明治期には鳥取県の和鉄生産額が全国の四割を占めるに至った。
ここの神社跡ではいまも初冬の荒神様の季節になると畑集落の人々がお祀りをしているという。
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