平成30年12月28日(金)午後4時から
県庁講堂
皆さま、こんにちは。この1年間本当に皆さまにお世話になりました。まずもって御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。先ほどはまずアナウンスがありまして、今から仕事始めが始まるのかなと思いました。また、これから1年やるのかと思いましたが、やっぱり1年が終わるようでございまして、皆さま、ぜひこれからしばらくは御家族や御友人、地域の方々とまた親しい楽しい時も過ごしていただき、また新年ここにまみえることをお誓い申し上げたいと思います。今年は大変な年でした。「災」という字が今年の漢字になりました。全く考えられないことがありました。あの関空が水に沈んでしまう。それから、また(岡山県)真備町のように2階まで水が上がってくる、そんなつらい災害の年でありました。本県の中におきましても、智頭の(国道)373号沿いだとか、さらには八東川の所、また、今度は琴浦であるとか、また、日野のほうの濁谷(にごたに)であるとか、各地で東部、中部、西部問わず大変な災害がございました。亡くなられた方の御冥福を改めてお祈り申し上げますとともに、被災された皆さまにお見舞いを申し上げたいと思います。
私も災害現場に毎日のように通い、いろんな方々とお話をし、即、実行しなければならないことを皆さんと一緒になってやってまいりました。最近もいろんな声が聞こえてきます。「災害のときに県庁の職員は本当に早く駆けつけてくれた」、あるいは「こんなお助けをいただいた」、「もう用水路が間に合わないかと思ったけれども間に合った」、そんな様々な声です。皆さんの力で今年を乗り切ることができた。県民の今まだ聞こえない感謝の声は私たちの方に届き始めています。これからも皆さんの手でこのふるさと鳥取を守り、そして育てていただければと思います。
先程も数々の表彰を受けられました皆さん方に心から感謝を申し上げお祝いを申し上げたいと思います。西日本豪雨に当たりまして、私自身も広島の湯崎知事や岡山の伊原木知事と、これは本当のことですけれども、夜が明けて早々、7時、8時くらいから連絡をとり始めました。テレビ等でも情報は即、今、伝わる時代であります。「これはもう協力してやっていかなきゃいけないですね」と、そういうお話をさせていただきました。それで鳥取県が「中国地方全体の災害復旧、復興のために汗をかいてもらいたい」というお話がありました。大変なお仕事ではありますけども、お引き受けをいたしましたが、一番汗をかかれたのはお集まりの皆さんだと思います。最近も広島や岡山など中国地方の被災された所から何か話があるたび、会議のたびに鳥取にはお世話になったという話が常に聞こえてくるわけであります。本当にありがたいことだと思います。
私たちは中部地震を経験しました。そのときに大変な被害があったとき、近隣の皆様にも助けていただきました。その記憶を皆さんも持っていただいて、このたびも出かけていただき、場合によっては支援調整員として現場に逗留していただいたり、また、職員災害応援隊として私も行きましたけれども、小学校のほうに出かけて、まずは安心して生活できる環境を整えることから始めていただきました。このような、追われる1年だったと思います。
片方でいい話もありました。例えば海外とを結ぶ飛行機のことでは米子ソウル便、これは3便化されるということで心配をしておりましたけれども、実は水面下でいろいろと交渉事をしておりました。そういうことの成果があってだと思います。どういう結末かは知らされないままにエアソウルの社長さんがこちらにお見えになられましたとき、6便に増やすという想定外のお話がございました。これはあの日1日で終わったことではありません。実は開設以来苦しみぬいた航空路線、多くの方々の御協力を得て搭乗率を伸ばしてきたこと、そして、ともに東アジアをめぐる架け橋、これを大切にしようという思いが航空会社とも共有されたからにほかなりません。皆さま方の大きな御労苦の成果だろうと思います。
香港便でも同じことが起きました。実は他空港では休航するという所もありました。先般、会社の幹部がこちらに来られまして、率直なお話を聞きました。会社としては重点化をするということであります。「重点化をするときに、これまでやって来て、ともにやっていける地域、その空港を今回対戦させてもらうことにした」ということでありました。岡山空港も2便から3便になりましたけれども、こっそりお話をいただきましたけれども、「私たちは米子鬼太郎空港を3便化したかったんです。その都合で岡山も3便化しました。」とおっしゃっていました。多分これ嘘ではないと思います。それぐらいこの小さな鳥取県という所の頑張りが世界中からも評価されるようになりました。それで、全国放送でも昨日放送されておりましたけれども、この鳥取県が「ガイジンポット」というサイト、メディアにおきまして日本で一番訪れたい観光地NO.1にランキングしたんですね、その下にいたのは渋谷の代官山とかああいう所でありますから、よっぽど鳥取はおしゃれな所なんだなと思うんですけども、そうではなかったみたいであります。
アドベンチャーディスティネーションと書かれていました。やっぱりアニメの魅力とか、それから自然なアクティビティ、さらには日本一危険な国宝として有名だという投入堂も捉えられていました。このようなことでNO.1にランクされたんですけれども、もう5年10年前からしますと夢物語であります。たった1万5千人だった10年前の観光客、日本の宿泊客数、これは今では15万人になろうとしています。そのように鳥取県が発展への契機、今年も一歩進んだそのような年だったかなと思います。鳥取砂丘コナン空港もそうであります。この鳥取砂丘コナン空港、実際飛ぶお客様以外のお客様がものすごく増えてきました。先般も車をあの辺で運転していましたら、空港から出て行く車をつけて行ったら富士山ナンバーでございます。「いったいどげな旅してここまで来たのかな」というようなことでありますけども、それぐらい憧れる所に鳥取はなり始めています。楽天のサイトで年末年始急上昇した人気観光地NO.1が鳥取でございました。
このように、私たちはこの年、非常に厳しい年でありましたけれども、災害にもかかわらず、この観光客延ばすことができたわけであります。その背景には大山1300年祭を頑張り抜いた皆さんもいらっしゃいました。県庁だけではありません。市町村や観光協会、また、地元のいろんな方々が協力をし、大山ブランドというものも出来上がってきました。これこそ鳥取らしい地域づくりだったのではないかと思います。
そんなとき、「星空舞」という新しい品種が生まれたり、ハウスを活用してスイカなどは過去最高の単価ということになりました。らっきょうだとかいろんな作物でもいい成果が生まれたわけであります。いろいろと収穫もあったそんな年にもなったのかもしれません。皆さまの頑張りのお陰で、今日この日を迎えることができました。感謝の言葉を申し上げる次第であります。「冬山や寺に薪割る奥は雪」、飯田蛇笏(いいだ だこつ)の句でございます。冬の山、寺で薪を割っている、奥には雪が積もっている、実はたったさっき、今ですけども、三朝の方から電話がかかってきました。「今うちの村はもう50センチも積もっていて出るに出られん」という話でありました。もう、今、深々と雪が降っているわけであります。そういう中、これから年末年始も分担して対策があるかもしれません。そのときはよろしくお願い申し上げたいと思いますが、そういう寒空の下、薪を割って暖まる人たちができる、薪を割って栄える里の姿がある、そんなお寺の情景が読み込まれているわけであります。
薪を割っているのは皆さんです。皆さんもぜひこれからもそういう暖かい火を灯し続ける、そういう誇りを持って、また新年ここに集まっていただければと思います。災害があり、いろんなことがありました。この戌年は去るわけであります。行ってしまいます。戌年は居ぬでございます。ここ以外もう笑うところはございませんので、もうこれで終りにしたいと思いますけれども、皆様にとりまして素晴らしい年がまた巡り巡ってやって来ますこと、お祈りを申し上げたいと思いますし、また、御家族、地域そろって栄えある年となること、災害のない年となることをお祈り申し上げましてお祝いとさせていただきます。どうも1年間ありがとうございました。