皆さま、こんにちは。再びこの県庁に私も戻ってまいりました。これまで12年間にわたりまして、皆さまのお力添え、御協力をいただき県政の改革を進め、いろいろと実績をあげることもできました。これは私一人の力では全くなく、皆さまのお力であります。心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。今回選挙という投票行動を仰いだわけでありますが、県民の審判が下されました。得票率という得票した率、割合でいいますと92.3%という割合になりました。これは過去最高でございますし、このたびの統一地方選挙でも断トツで一番多いということになりました。なぜかというと、これは今まで進めてきた12年間、皆さまのそれぞれの汗、そして御尽力、それが反映されたことにほかなりません。例えばあいサポート運動を繰り広げ、手話言語条例の展開をしました。全国で230という、そういう多くの自治体がこの仲間に加わっています。こういうことも鳥取県発で始まりました。
危険ドラッグに当たっていこうと、これも国の方針に反しながら独自の条例をつくったりしてきたわけであります。私が就任した頃は、未だハイウェイの整備率は30%でありました。それが現在では7割、今日先ほど発表になりました。鳥取西道路が開通するということになりました。5月12日になりますと8割ということになります。これは見違えるような県の利便性の向上でありまして、産業の立地、企業の集積、さらには観光、また日常的な利便、こうしたことで大きく飛躍してきたことになりました。海外からもお客様が今、私どもの方に12倍増えてきておりまして、香港便、ソウル便がありますが、ソウル便、先月は7,000人を超える、初めて突破するということになりましたし、また香港便も3,300人ということでございまして、どちらも過去最高ということになってきております。もともと考えてみますとソウル便も週3便、さらには香港便などなかったです。それで、これが今ではこうしたことになり、国内便も米子は6便、そして鳥取が5便と、かつて3便しか飛んでいなかった時期と比べますと見違えるように変わってきました。これも大変な努力の成果として、今日皆さんがつくってくださったことであります。
さらに、例えばスポーツの振興でございますとか、環境対策、これも自然エネルギーの活用が今では民生エネルギーの100%を賄うぐらいになるとか、また、これまで財政が厳しかったところが財政再建も成し遂げてくるということにもなってまいりました。この間、大山1300年祭、さらには全国植樹祭、海づくり大会など多くの事業も県として成し遂げてきたわけであります。一つ一つ皆さんが加わられたことであり、皆さんの思いが形になってきたことでありました。本当に皆さんのお力がこういう92.3%という県民の信頼に結びついたわけであります。申し上げたいのは自信を持っていただきたいということです。12年間県政の改革を進めて、やはりこれがいいなと思うことを現場主義で皆さんにやっていただきました。それがこうして評価をされ、県民の信頼を得られるようになったわけであります。全国でこれがトップだということです。ここから先の新しい時代、私たちがリードしたいと思います。できると思います。皆さんの力をいただければ鳥取から、山陰から新しい時代をひらくことができると思います。
5月1日から「令和」という時代が始まります。この「令和」という時代は山陰と無関係なものではございません。この「令和」のもとになった漢詩、梅の花の宴で詠まれたものであります。32の詩の言わば総括として書かれた漢詩の中に、「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして気淑(きよ)く風和(かぜやわ)らぎ」という言葉が記され、「令月と和む」、あるいは「和らぐ」という和の字、これが「令和」のもとになりました。書いたのは山上憶良とも言われますし、大伴旅人とも言われます。定かではありませんが、山上憶良は我々の伯耆の国の国守でいらっしゃった方ですし、また、家持のお父さんが大伴旅人でございました。この宴自体も大伴旅人の主催によるものでありました。こういうような説もあるのですけど、「まだ13歳かそこら、子どもの頃の家持もその席にいたんではないだろうか、だから万葉集の中でこの梅の花の宴、また梅の花の詩が大きく取り上げられているんじゃないか」という説もありまして、結構説得力もあるだろうと思います。
こういうように、今、昔々の万葉集の話かもしれませんが、それと同じように私たちは大山の姿を仰ぎ、砂丘を見つめ、ここに人々のふるさとの暮らしが今なお息づいています。流れているときはあのころと変わらないときであります。果たしてこれが世界どこでもそうかというと、日本の中でも東京とか大阪とかは違ったときが流れています。朝起きて満員電車に揺られながら、苦労してやっと会社にたどり着くころにはくたびれ果ててしまう。一生懸命会社で働こうということではあっても、そこにはいろんなストレスがある。帰ったら寝るだけの生活。しかし、ここは違います。通勤時間は全国で最も短いレベルでありますし、遊びに行こうと思えばすぐ温泉地にも行けて、子どもたちが思いっきり遊べるそういう緑の自然もあります。ここには別世界、これからの新しい令和の時代のあこがれの価値観があるのではないかと思います。皆さんと一緒に「幸せの形、それからこうやったら新しいビジネスや産業、農林水産業も含めて生まれてきますよ、こんなように観光などのテーマもありますよ、子供たちが伸びようと思えばこんな教育ができますよ」、こんなことを私たちの鳥取県からまずは実現していきたいと思います。
今まで福祉の世界などで鳥取が全国の政策をリードしてきたように、この鳥取県庁から新しい時代をひらいていければと思います。ぜひ皆さんには現場に出かけていただき、現場といっても業界団体だけではありません。住民の方がほんとに何を望んでいるのか、それを見つけてきてください。そして、それを実現すれば「令和」の新時代が皆さんの手によって始まるわけです。私も皆さんと一緒に、これから精一杯努力をしていきたいと思います。私が与えられた期間は4年間であります。この4年間の間に、皆さんと一緒にしっかりと「令和」の時代の礎、未来への礎を築かせていただければというふうに思います。
昨日、1つまたニュースが舞い込みました。渋沢栄一さんが1万円札になるということになりました。縁遠いと思っておられる方も多いかと思います。資本主義の父親ともいわれるような、そういう偉人でございますけども、実は船上山の保存の会の設立に当たりまして、昭和5年にその顧問に就任をし、恐らくその資金的にも援助をしていただいたことでございました。その保存会の設立趣意書の中には、かつて後醍醐天皇を迎え入れて80日間にわたる行宮があった。それで、この船上山、これに興奮しないものはないだろう、これをぜひ登山する人も増えてきたので綺麗にしようではないかと、こういう趣旨でありました。実際、船上山の神社は昭和9年に造営をされているわけであります。渋沢栄一はそういう息吹を吹き込んだ人でもありました。私たちは新しい同じような時代の息遣いをここで吹き込んでいきたいと思うわけであります。渋沢栄一の言葉に、できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸せを与えることができるよう行動するのが我々の義務であるというふうに言っていました。「単にお金儲けだけではない、むしろそういう活動を通じて故郷を、国を豊かにして人々の幸福を結んでいく」、これが、渋沢栄一が求めた世界観でありました。ここ鳥取からその歩みを「令和」の時代とともに始めていきたいと思います。皆さんの働き如何でこれから未来の鳥取が変わってくるわけであります。ぜひとも、共にこのチャレンジを果たしてまいりたいと思いますので、皆さんの御協力をよろしくお願い申し上げたいと思います。
あわせて1つだけお断りもしなければいけません。この4月から働き方改革も施行されています。ですから、同じ仕事をするにあたりましてもいろんな工夫をして楽しみながら、みんなである程度効率的にできるような工夫を考えながら、そしてお互いに支え合いながら、この職場からも模範を示していただきたいと思います。皆さんの上にこれからさまざまな幸せ訪れることをお祈り申し上げ、この鳥取県のますますの発展、令和の時代とともに始まることを祈念申し上げまして、私からのメッセージといたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。