明治6年、岩美郡岩美町馬場に生まれる。25年に鳥取県尋常師範学校を卒業し、因幡高等小学校に赴任するが、同年9月、東京音楽学校に進学する。
明治28年卒業後、兵庫県尋常師範学校を経て、32年に東京高等師範学校兼東京音楽学校助教諭となり、ここで、音楽教育の改革を次々と行う。
『言文一致唱歌』を提唱し、児童の発声法の改善を唱え、鑑賞教育の必要性を強調したことである。
100年以上前にこれらの改革を提唱し推進した、わが国音楽教育の偉大な先駆者であるだけでなく、今もなお愛唱されている数多くの唱歌の作曲者として著名である。
音楽教育と作曲の分野だけでなく、東京市視学として行政面でも手腕を振っている。
昭和18年に没する。
※『言文一致唱歌』
子どもに分かりやすい話し言葉の歌詞と、分かりやすく親しみのある旋律の曲。
大こくさま きんたろう はなさかじじい うらしまたろう
大江山 したきりすずめ 大寒小寒 うさぎ せみ 一寸法師
虫の楽隊 小さき星 青葉の笛 妙義山 うぐいす とんぼつり
海辺 虹 おひなさま 菊の花 山陰鉄道唱歌 お月さま
田村虎蔵の作曲した曲をお聞きいただけます。