明治7年、鳥取市西町に生まれる。クリスチャンの父の影響で、教会で讃美歌やオルガンにふれ、音楽の素養を身につける。
明治29年に東京音楽学校を卒業し、静岡県師範学校を経て、33年に鳥取県師範学校に赴任する。鳥取中学校と鳥取高等女学校も兼務し、合唱とオルガン演奏を指導する。
明治38年、神戸市立中宮小学校に出向する。後に大阪府清水谷高等女学校に転任し、このころから、外国の教科書の研究、音楽教科書の自主編さん、作曲などを行う。
大正4年、私立大阪音楽学校設立の認可を受け、関西で最初の音楽学校を創設する。以後、校地や制度の整備を進め、昭和33年には大阪音楽大学に昇格させる。
生涯の理想を実現する一方で数多くの唱歌や合唱曲を作曲し、楽譜を出版する。
昭和40年に没する。