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2019年10月29日
履物からみた古代人と現代人

現在、青谷横木遺跡の木製品整理を行っていますが、奈良・平安時代のものが中心となります。

その中で多いものの1つが下駄です。

状態の良いものは足の裏の形までしっかりと残っています。写真の下駄は、ほぼ完全な形(1枚目)のもので、鼻緒の位置から左足のものと考えられます。裏側をみると前後二つある歯が両方ともすり減っています(2枚目)。しかも後ろからみると、足の内側部分が大きくすり減っていることが分かります(3枚目)。

ちなみに、現代人である私の左の靴を後ろからみると、外側がすり減っています(4枚目)。しかも前側はあまりすり減っていません。

下駄は着地の際、踵からではなく、全体に体重がかかりやすい履物のため、前後両方の歯が磨滅していくようです。また、私はガニ股なので外側が磨滅していますが、この下駄を履いていた古代人は内股だったようです。女性でしょうか?このように足の大きさや歯の磨滅の具合などから、実際に下駄を履いていた古代人を想像するのも楽しいものです。

さて、あなたの靴はどうなっていますか?

左足用の古代の下駄 左足用の古代の下駄を裏から見たところ

下駄の歯のすり減り方(内側がすり減っています) わたしの靴のすり減り方(左足)

[令和元年10月掲載]

 

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 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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