防災・危機管理情報


調査・研究(古代山陰道)

2月16日に古代山陰道現地説明会を開催しました。

 令和2年2月16日(日)に古代山陰道現地説明会を開催しました。

新聞やテレビで大きく報道されたこともあり、関心が高いとの想定から当初の定員80名の枠を外し、希望者は参加いただけるようにしたところ、何と161名の参加となりました。中には島根県や兵庫県、岡山県、遠くは東京からお越しの方もあるなど、全国的にも関心を持たれていることが分りました。

 当日は天候が心配されたことから、調査区の近くまでバスで送迎させていただくことに変更し、一日で計7回の解説を行いました。

 参加いただいた方からは「険しい山陰道を通って税を都に運んだ古代人の苦労が目に浮かぶようだった。」などの感想があり、現地遺跡ならでは訴求力を感じさせられました。

 地元でもまだご覧になられていない方もありますので、現地案内や講座等を継続し、遺跡の価値を多くの方に伝えていきたいと思います。

 なお、現地説明会当日の様子は、2月28日(金)・29日(土)にいなばぴょんぴょんネット「とっとり知らせたい!」まちかどアルバムの中で放映予定です。そちらもぜひご覧ください。

 

側溝を備えた、幅9mの古代道路の大きさを体感していただきました。

最も道路痕跡である切通しが良く残る地点での説明の様子。

参加者には実際に切通しを歩いていただき、古代人の気分を味わっていただきました。

  現場説明会資料はこちらです.pdf(2746KB)

  

古代山陰道の発掘調査情報(その1)

 発掘調査を開始して3週間あまり。前回、枝木の伐採や下草刈りで見やすくなった切通しをご紹介しましたが、さらに環境整備が進んだことにより一段と見通しが良くなり、迫力満点の切通しを実感できるようになってきました(写真1・2)。

 発掘調査は現在、東側丘陵に残る切通し部分に4ヵ所のトレンチ(調査区)を設定し掘り下げを行っています。わずかですが土器片も出土し、中には古代山陰道が使われていた奈良時代や平安時代とみられる土器も含まれていることが分ってきました(写真3)。今後の調査に期待が持てます。

(写真1)東丘陵の切通し(Before

 (写真2)東丘陵の切通し(Aftar

(写真3)出土した古代の土器

[令和元年12月掲載]

  

11月5日(火)に古代山陰道の発掘調査を開始しました。

  令和元年11月5日(火)に古代山陰道の発掘調査を開始しました。初日はまず、発掘調査する部分の環境整備を行い、草刈りや枝木の伐採をしました。すると、現地踏査で確認されていた大規模な切通しが一層はっきりと姿を現しました。(写真1)。翌6日からはいよいよトレンチ(調査区)を設定し、掘り始めました(写真2)。どんな発見があるのか、ワクワクしながら調査を進めています。

写真1 草刈りや枝木伐採後の切通しのようす(東側丘陵)

写真2 トレンチを設定して掘削作業を開始したようす

  

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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