戦国時代後期、天正8・9(1580・1581)年の秀吉の因幡侵攻に伴う織田・毛利戦争を文献だけでなく関連城郭から捉え直し、当時の歴史を再評価し、ストーリーを再編成していく試みの第2弾です。
令和2年度は東伯耆の国人南条元続らの織田方関連城郭と吉川元春らの毛利方関連城郭がテーマです。
文献(1次史料や2次史料)に取り上げられている城館は一部ありますが、具体的に場所を特定できていない城郭や、文献に取り上げられていない城郭もあります。
今年度のキックオフとして、今回、地元の研究者のご意見をうかがいながら、調査対象とすべき城郭や検討すべき課題などについて整理しました。
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため普及イベントが実施困難となる中で、密ではない現場でより精力的に踏査を行う予定にしており、現地にご案内できない分は従前にも増して訴求力のある情報発信に努めていきますので、ご期待ください。
[研究者との協議の様子]
[縄張り図を入れた城館マップ]
中世城館の調査には文献・伝承調査と現地調査がありますが、現地調査には以下4つの側面があります(村田修三1980「城跡調査と戦国史研究」『日本史研究』211)。
1 地域(城跡の分布、相互関係、勢力配置等の中での位置)
2 地形(占地、麓の集落や道との関係、山容)
3 縄張り
4 狭義の遺構(土塁、空堀等の形状などの地上遺構、発掘調査による埋蔵遺構)
写真の地図は、高低差がわかるマップに、東伯耆(倉吉市、湯梨浜町、三朝町、北栄町、琴浦町)の関連が想定される中世城館の縄張り図(既存)を同じ縮尺に合わせて貼り付けてみたものです。切り貼りマップで、超アナログですが、調査研究を進めていくにあたって事前に検討する上で、とても参考になります。
[東伯耆の主要人物行動表と城館一覧]
織豊期に生きた主要人物の居所と行動を確定することを目的に、『織豊期主要人物居所集成』という大部の書籍が刊行されています。織田信長、豊臣秀吉をはじめ25名が取り上げられ、当地に関係しそうな人物では、毛利輝元がありますが、吉川元春は取り上げられていません。
分析の手法として、人物の居所と行動を文献等から明らかにしていくことが歴史の解明につながるものと考えられます。今回の調査・研究に当たって、織田方では南条元続、小鴨元清兄弟など、毛利方では、吉川元春・元長、山田重直等の居所と行動等について、天正8・9年を中心に時系別に拾ってみました。
文献資料やこうした資料を見ながら研究者と意見交換し、調査対象城館をリスト化しました。今後の調査研究にご期待ください。
なお、3月末刊行の「因幡の中世城館調査概報」も好評発売中です。郵送による書籍販売も行っております。
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[令和2年4月掲載]
写真(1) 北側から見た妙見山
令和2年度の山城調査を鹿野城から再開しました。
写真(1)中央の妙見山(城山)は近世初頭、亀井玆矩により石垣の城に改修されていることはみなさんご存じのことでしょう。
写真(2)北西から見た妙見山、流山
写真(3)堀切状の溝
今がちょうど見ごろの妙見山の桜を横目に、裏にそびえる流山(ながしやま)(写真(2))を踏査してきました。丘陵の北西側に4~5m四方の小さな郭と思われる平坦面が20基ほど尾根筋にそって階段状に連なっているのが見つかりました。これは遺跡地図では曲輪群とだけ記載されていたもので、詳しいことはよくわかっていませんでした。また頂部には大きな堀切状の遺構(写真(3))が残っていることがわかりました。これらは中世戦国期のものと思われます。
引き続き戦国期の鹿野城について、調査を進めますので、ご期待ください。
なお、3月末に令和元年度の中世城館調査再調査事業の概報、『戦国の因幡武田と鹿野城』を刊行しました。こちらもよろしくお願いします。
[令和2年4月掲載]