根雨のまち並みを見下ろす高台に建つ瀟洒な建物。
昭和15年に落成したこの旧公会堂は、奥日野の大鉄山師 近藤家の第7代目当主寿一郎氏が根雨町(当時)に寄贈、コンサートホールや映画館、時にはダンスホールとして多くの方に親しまれてきました。
昭和61年からは日野町歴史民俗資料館となりましたが、平成9年には国登録有形文化財にも指定された貴重な建造物です。
今日は、近藤家9代目当主の登志夫さんと、この旧公会堂を訪ねてみましょう。
シンプルで洗練されたたデザインの外観。
古代ローマ建築に見られるコロネード様式を取り入れた、2本の円柱が目を惹きます。
設計したのは、大阪三越百貨店技師の岡田孝雄さんだそうです。
タイルを張った円柱や照明。
質素を好んだ寿一郎氏の「田舎のまち並みに即した外観とするよう」との意向に沿って、ニュアンスのある色彩が選ばれています。
玄関ホールから見える根雨のまち。
階段で2階へ。
絵画のような景色。
いつもは2階に入ることはできませんが、今日は特別です。
寿一郎氏は、「内部は都会の劇場のように華やかに」との考えを示していたことから、内部は夢のような空間とする意匠が随所に凝らされています。
2階には映写室と観客席。
1階は大ホール。
現在は様々な民族資料が展示されていますが、当時は、映画や演劇、コンサートを楽しむ人たちの座席で、1,200人の観客が入れます。
ダンスホールとして使われることもあったそうですよ。
今なお古さを感じさせない、白壁に木目の都会的デザインの映写室。
2階には窓がたくさんあり、自然光を多く取り入れる設計。
照明も当時もまま。
逆サイドからの眺め。
「昔の人は、こうやって舞台を見ていたんでしょうね。
落成のときは、町民をみんな呼んで大祝賀会も開かれたそうです。祖父は喜んだことと思います。」
実業家であった寿一郎氏は、政治を司ることはしてはならないという信条の持ち主でしたが、知識人でもありました。
桂太郎内閣の時代には、軍閥に反対する寿一郎氏は、護憲運動の先頭に立っていた政友会の尾崎行雄の講演会を開催したこともあったそうです。
当時根雨のまちは、文化や政治の最先端だったのです。
舞台の横にかけられているのは、寿一郎氏の祖父、5代目当主喜八郎氏の肖像。
(反対のサイドには、父、6代目当主喜兵衛氏の肖像があります。)
舞台袖の部屋から。
「演劇やコンサートの時には、監督がここから舞台の様子を見てたのでしょう。」
舞台に置かれているピアノは、教育に関心が高かった寿一郎氏が根雨小に寄付したもの。
当時の日本で5台程度しかないこのピアノ、家が1軒建つくらいの価格だったそうです。
漆は剥げていますが、鍵盤の象牙はきれいです。
「今でも音が出ますね。
祖父は、根雨の子どもたちに本格的な音楽教育を受けてほしかったのでしょう。」
元々は燭台も着いていましたが、現在は残っていません。
ピアノ線は錆びていますが、鍵盤を押すと優しい音色が聞こえます。
2階には、小ホール(または貴賓室)もあります。
「窓から根雨のまちが一望できます。」
窓からの景色。
根雨神社や参道、日野病院、日野高も。
根雨のまち並みは、ずいぶん変わってきています。
「根雨のまちにあって、人々が夢を見たり、政治理念を考えたりできた旧公会堂のツアー、いかがでしたか。
次回は、根雨小を訪ねます。お楽しみに。」
※旧公会堂の見学は、日野町教育委員会への予約が必要です。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.town.hino.tottori.jp/dd.aspx?menuid=1287
日野振興局 2021/02/08