前回の「たたらの楽校で学んだこと」の続きです。
「たたらの楽校」で日野郡のたたら製鉄について学んだあとは、佐々木さんのご案内で「古民家沙々樹」を見学させてもらいました。
「古民家沙々樹」は根雨駅から徒歩10分のところににあります。
現在は奥日野ガイド俱楽部の佐々木会長の所有する登録有形文化財の古民家としてイベント開催や宿泊に使われていますが、佐々木さんご一家は戦後も住み続けておられました。
中には、先ごろ行われた鳥取県西部の民話の会の様子が残されていましたが、ここでやると雰囲気も抜群だろうな、と思わず参加したくなります。
広い土間から上がり、開放的に光がさしこむ表の間から中庭を見ると、なんだかほっとします。
表の間では、「蚊帳」をかける体験をさせていただきました。
オシドリ保護活動をきっかけに日野町に来るようになった東京都杉並区の小学生たちも蚊帳吊りを体験して、大喜びだったそうです。
それはそうでしょう、もはや大人でも実物は見たことがない人が多くなったものですからね。
蚊帳は、ドラマなどで見る限り、夜風が涼しいのかと思いきや、中はけっこう暑いのだそうです。
この部屋で、この家の「棟札(むなふだ)」も見せていただきました。なんと文政年間!
母屋の隣の新座敷では欄間(らんま)が目につき、「見事だなぁ」と思って眺めていたら、名人、富次精斎(とみつぐ せいさい。伯太町(現安来市)出身の宮大工)の作でした。
精斎は、幼少の頃より木工に才能を示し、宮大工となりますが、京都で高村光雲にも弟子入りして最新のモード芸術も取り入れようとした人物です。現存はしませんが、米子市に当時皇太子だった大正天皇が訪問した際の宿舎「鳳翔閣」を建築したことで一気にその名をとどろかせました。
みなさんにもっと身近な驚きとなりえるのは、やはりこちらではないでしょうか。
「信徳為宝 従二位公望」
言わずと知れた、西園寺公望、1868年、西園寺公望が山陰鎮撫師として根雨宿を通過した際にこの書を残したそうです。
松江からの帰りだということですが、後醍醐天皇の昔から根雨は都から日本海へ抜けるルート、それも大勢で歩いて行けるメインルートだったのですね…往時がしのばれます。
レトロな名物としては、オシャレなご不浄です。陶器に加えて、ぼんやりと灯る明かりが夜は独特なことでしょう。
ぜひ、泊まってご確認ください!
※ご不浄…おトイレのことです。
ひととおり中を案内してもらったあとは、囲炉裏を囲んでのひとときです。
鈴原糯(すずはらもち)という、全国的にも珍しい希少な糯米(もちごめ)から作られている「きねつきもち」を囲炉裏で焼いたものをいただきました。
アツアツなだけでもおいしいのに、こしとねばりも強く、きめもこまかいので「モチモチした」という形容詞がぴったりでした。
腹もちもいいはずなのに、おいしすぎて気づいたら4個もペロリと食べてしまっていました!!
糯米ですから、きねつきもちのほかにお赤飯も作られています。そちらもぜひ食べてみたくなりますね~
【問い合わせ先】企業組合日野町農作物加工所「大夢多夢」 0859-72-1286
日によって、根雨駅近くの「金持テラス」内「まめなか屋」さんでも取り扱いあり。
日野ごよみ「日野町の隠れた名品 鈴原もち」>>https://www.pref.tottori.lg.jp/item/854205.htm
この囲炉裏を囲んで、じげの餅を食べるというのは各種イベントの参加者にも大変好評でなかなか腰を上げない方もおり、ちょっと困ってしまったこともある、と佐々木さんは苦笑いされていました。
でもたしかにおいしかったしな~…鈴原糯の「きねつきもち」!
コロナ禍のため以前ほど活発な地域外との交流がしにくい昨今です。
しかし、古民家沙々樹は、1日一組と決めて宿泊希望にも対応しておられ、冒頭で紹介したお話し会も催されています。
古民家はなんといっても「家」ですから、訪問してみないと雰囲気は伝わりません。
ぜひみなさんも一度訪問してみてください。
根雨を一周し、夜はここで語らう…いい夏の夜の思い出になりそうです。
詳しくはこちら>>(古民家沙々樹パンフレット(pdf:2480KB)
日野振興局 2022/07/22