みなさん、ご存じでしょうか。
かつて40年続いた時代劇、水戸黄門の第38部第13話「美人絵師が描く復讐・鳥取」で、まさに鳥取県のたたら製鉄が描かれていたことを(2011年1月17日放送)。
たたら製鉄で財産を作り、ぜいたくに暮らしている鉄山師たちの間で、豪華な襖絵で屋敷を飾ることが流行している。そこへ現れた人気の絵師、実は悪徳な鉄山奉行に反対して闇討ちにされた鉄山師の娘で、その鉄山奉行と結託している鉄山師たちに接近し、屋敷から盗んだ小判を困窮する百姓に配る盗賊に手を貸しつつ、復讐の機会を狙う…というお話でした。
(注意:今回ご紹介する鉄山師「近藤家」は地域に根ざした経営をされていました。)
この地のたたら製鉄があったことだけでなく、それがいかに繁栄していたかが伺える回でした。
余談ですが、絵師役で出演した俳優の国分佐智子さんと「ちゃっかり八兵衛」役の落語家・林家三平さんはこの回で共演したのを機にご結婚されました♡
恥ずかしながら、記者はこの放送を見るまで鳥取県でたたら操業をしていたことを知りませんでした…。日野郡で働く今、日野郡=たたら、と変換されるほどですが(笑)
さて、今回は根雨駅から歩いて10分強のところのある施設「たたらの楽校」にて、佐々木彬夫さん(奥日野ガイド倶楽部)と田貝英雄さん(伯耆国たたら顕彰会)に奥日野のたたら操業について教えていただきました。
(日野町ホームページから引用)
たたらの歴史、しくみについて詳しく書かれたパネルの前で、たたら操業で栄えた日野町の近藤家は遠方からも優秀な人材をヘッドハンティングして経営にあたっていたこと、たたらが終焉を迎える頃には事業を転換して時代を乗り切ったことなど、興味深い話をたくさん伺いました。
たたら自体に関心がなくても、鉄が出る山、出ない山の分析シートや当時の貸借対照表といった興味深い展示もあり、企業経営の目線からもおもしろい、という見学者の方もいたそうですよ。
※現在はコロナ対策のため、見学をご希望の場合は事前の予約が必要です。
【問い合わせ先】たたらの楽校>>http://tatara21.com/
別棟には貴重な模型もあり、たたらの様子がよくわかります。百聞は一見に如かず、ですね。
右の写真で、ふいごを踏んでいる労働者を「番子(ばんこ)」といいますが、ふいごを止めないため、時間になると交代要員=代わりの番子、「かわり番子」が来ます。
これが現代でも使われている「かわりばんこ」という言葉の語源になったそうです。
1つのたたらでは約200人が職住一体の暮らしをしていましたが、その食糧は近隣の村から買い、たたらの住人の下肥は村に回すという、地元との間に「ウィンウィンの関係」が築かれており、たたらの土砂が田畑や川に流れ込んで農作業に被害が出ないよう、操業期間の取り決めも行われていました(たたら操業(鉄穴流し)で流れ出た大量の土砂が弓ヶ浜半島の形成に影響したとされています)。
※鉄穴流し(かんなながし)とは、鉄の原料となる砂鉄を含んだ土砂を崩して水路に流し、鉄の重さを利用して不純物を川下に流し、「水洗い」を繰り返す精製方法です。
一方で、近隣の村とたたらの住人とは「付き合いをしない」とも取り決められていました。
※ここで言う「付き合い」とは、葬儀や火災対応といった地域の共同作業を指すと思われます。
また、時間外手当として、換金性の低い「酒」を「ごほうび」として出していたことも(当たり前ですが)現代とは感覚が異なります。
どうやら、「たたらのある日野郡」は、現代でいう「企業城下町」とは違っていたようです。
うちの親も同級生の親も地元の大きな工場で働いていて、毎年のように若い人がたくさん就職してくるから、工場の人たち相手のお店もどんどんできて…という風景はなく、必要な取引はするけれど、たたらの労働者とお百姓の間に親しい交流はなかったのでしょう。
もし現代にたたらがよみがえるなら、たたらの人も村の人もみんなが町を盛り上げるような存在であってほしいですね★
たたらの楽校(根雨楽舎)は、もと近藤家の屋敷で、現在は町の施設として集会などのために貸し出しもされています。2階は広く、20人は座れるテーブルがあり、ランチミーティングをするのも趣がありますよ~
【問い合わせ先】日野町総務課 >>https://www.town.hino.tottori.jp/1258.htm
日野振興局 2022/06/30