防災・危機管理情報


調査・研究(西伯耆の中世城館)

中世城館ウォーク(打吹城、黒坂城)を行いました その2

 ゴールデンウィークを挟んで打吹(うつぶき)城(倉吉市)、黒坂城(日野郡日野町)、の2つの山城のウォークを行いました。
 今回は令和4年5月14日(土)に開催した黒坂城ウォークを報告します。
黒坂城は、黒坂の町の背後にそびえる標高302mの山頂から山麓にかけて築かれています。この城は、慶長15(1610)年に伊勢亀山(現三重県亀山市)から2万石の加増を受け、領地替えされた関氏により、築城されました。
ウォーク当日は晴天に恵まれ、日野町教育委員会、黒坂鏡山城下を知ろう会のみなさまの協力を得て開催しました。日野町公民館から麓まで徒歩約20分、さらに麓から約10分の山道を歩いて山頂に到着しました。山頂には南北に細長い曲輪(くるわ)があり、これが主郭(しゅかく)に相当します。主郭を含め山頂の各曲輪は周囲に土塁(どるい)を備えており、こうした土塁を伴う構造は周囲の山城にはみられません。この城には天守台のような施設は見当たりませんが、主郭から尾根を南にくだった中腹に櫓台(やぐらだい)が設けられています。その周囲には石垣に使われた石材が点在しており、石材には矢穴(やあな)と呼ばれる石材を分割する際に掘られた楔(くさび)の跡が残されています。現在は失われていますが、山頂部は石垣による整備が行われたようで、曲輪の側面にその痕跡として石垣の裏込石(うらごめいし)が露出しています。
江戸時代、一国一城令を経て黒坂城は廃城となりましたが、鳥取藩は黒坂城跡に町政の中心を担う陣屋(じんや)を構え、家臣福田氏を配置しました。江戸時代の絵図によれば山麓部の広い曲輪に陣屋施設がおかれたことがわかります。
黒坂城は、JR伯備線黒坂駅の後ろにあって、交通の便もよく町民の方にとっても大変身近な山城です。それほど高くない山城ですが、参加者から「見慣れた山だけど、山頂まで歩くのは初めて」、「山の中で解説を受けておもしろかった」といった感想をお聞きしました。黒坂城は、江戸時代の初め頃、戦時に備え山頂を山城として整備した様子や、その後、太平の世を迎え、山麓部に役所施設としての陣屋が整備された状況を一度に楽しめる貴重な城跡です。多くの方に訪れていただきたい山城の一つです。

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主郭の様子

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山麓部での解説状況

  

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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