古くから拓けていた日南町印賀。
この地域にある八幡山(はちまんやま)には、650年前から印賀のまちを見守り続ける石塔があります。
1357年(正平12年)、南北朝時代に建立された印賀宝篋印塔(いんがほうきょういんとう)です。
塔が建てられた当時は、南北朝の戦乱時代。
ここ印賀の武士二百余名も九州での戦いで南朝方に加勢するため出陣することになり、「生きて再びこの印賀の地に帰ることはなかろう」という思いで、自らの死後の冥福を祈るため供養(生前葬)をした証として石塔を建てたものです。
塔は印賀のまちや水田を一望できる場所に建ててあり、ここに立って眼下に広がった美しい風景を観ていると、「650年前の印賀の男たちがどんな思いでこの景色を観て出陣して行ったのか。果たして、再びこの地を踏むことはできたのか・・・・」と胸にせまるものがありました。
日南町大宮地区(印賀)を望む場所に建つ印塔
広がる田園風景に心癒されます
掘られた文字は風雨にさらされ読めなくなっているものの、石塔の角のカケなどはほとんどみられず、南北朝時代のものとはとても思えないほど美しい石塔です。
鳥取県の指定保護文化財になっています。
現在では、大宮まちづくり協議会環境部と地元の宝谷シルバークラブ(老人会)のみなさんが、八幡山の管理とともに宝篋印塔に通じる遊歩道や周辺の草刈りなどの整備をしておられます。
登りの階段は少々キツイですが、杖も用意されていますので、650年前に思いをはせに来られませんか。
※地図→
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日野振興局 2012/07/11