いきなりですが、日野町にはこんな方がいます。
もちろん、地上でも仕事をします。山男です。
名前は久代宏一さん。日野町黒坂の在住で、今年71歳。
さて、ここは県庁の県議会議長室。
久代さん、凛々しいです。
なんでこのような場所に久代さんが立つことになったのか、なのですが・・・
今年の全国植樹祭は鳥取県で盛大に行われましたが、その主催者の一つは国土緑化推進機構という公益社団法人です。
同機構は他にも緑の募金や全国緑化キャンペーンなど国民参加の森林づくりを推し進めているのですが、その活動のひとつに「森の名手・名人」選定という制度があります。
平成14年に始まったこの制度は、森に関わる生業で優れた技を極め、他の模範となっている達人を、「森の名手・名人」として毎年選定し、顕彰するものです。
部門は4つあり、久代さんは原木しいたけ栽培で「森の恵み」部門の名人に、写真左端の大谷耕象さん(八頭町在住)は桐箱職人で「加工」部門の名人に認定されました。
ちなみに、今年は全国で67名が認定され、鳥取県からはこのお2人だけ。制度が始まって以降、日野郡からの認定は久代さんが2人目となります。
写真中央は鳥取県緑化推進委員会理事長の野田修氏。野田氏は県議会議長でもあり、よって議長室での伝達式が執り行われたというわけです。
ではここで、久代名人の(「今日から名人と呼べ!」とは本人の弁)業績を紹介しておきましょう。
20歳の時に原木しいたけ栽培に着手し、以来52年間、しいたけを愛し、しいたけと格闘し、しいたけと共に人生を歩んできました。
その功績はさまざまに広がりますが、たとえば・・・
- しいたけのほだ木に雨よけのビニールシートをかけることは、今では広く普及している品質管理作業ですが、これを自らの独創で取り入れたのが久代さんでした。
- ほだ木の伏せ方が日野郡ではヨロイ伏せが主流だった時代に、いち早く合掌伏せを取り入れたのも久代さんです。
- 日野町しいたけ生産組合の組合長を22年間務めるとともに、平成22年には、しいたけ生産者の減少を食い止め、産業としての原木しいたけ生産を復興することを目的に「しいたけマンの会」を結成、自ら会長となって後進の育成に励んでいます。
再び県庁の議長室。
野田理事長からは「久代さんには、日野町のしいたけ生産事業の復興に尽力していただいているのみならず、後継者の育成という地域づくりにも貢献いただいており、大変ありがたい」という主旨の言葉が贈られました。
久代さんは「好きでやってきたことですが、今回の選定を励みに、これからも努力していくつもりです」と返しました。
名人認定、おめでとうございます。
ところで、これまでの12年間で鳥取県からの認定者は26人、そのうち日野郡からはわずか2名。日野郡は森の国です。名人と呼ばれるにふさわしい人がたくさんいるはずです。
この選定制度は地元の人からの推薦によるものです。推薦が無ければ名人は誕生しません。
来年からはぜひ、日野郡から次々と「森の名手・名人」を送り出しましょう。
PS:11月10日(日)、日野高校黒坂校舎グラウンドで「日野郡新そばまつり」が行われます。「しいたけマンの会」も出店します。どうぞ、ご来店ください。
(日野郡新そばまつりの詳細はこちらをご覧ください。)
日野振興局 2013/11/08