明治元年(1868年)、神仏判然令により全国に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。各地の寺社仏閣では、神仏の強制分離や大規模な破却等が行われたが、三徳山は、元々、江戸時代には「宮所」として扱われていたため、大規模破却から免れ、現在も比較的当時の姿を残している。
Copyright(C) 2006~ 鳥取県(Tottori Prefectural Government) All Rights Reserved. 法人番号 7000020310000