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昭和60年(1985)8月15日、智頭町波多で採集

語り

 昔あるところになあ、お父さんとお母さんとに子供がのうて、そしたら、ある神さんにお母さんが信仰しよらえた。まあ、二十一日か、また七日、また七日いうて、三七、二十一日の祈願をこめて行きよられたら、中指の腹がポンと大きゅうなって「こら何ちゅうこっちゃろう。」と思ったら、田圃に出とったところが、腹が痛うなってくる。腹がいたい。
 そいから隣のおばさんに言うたら「そら、子供ができるじゃ。」いうところで、見りゃあ中指の腹が大きゅうなっとるじゃけえ、そこをちょっと割られたらポカッと子供が出来てきた。
 「そうか、そうか。これはまあたいした子供じゃ。神さん信仰して、そがぁしてもろうた授け子じゃけえ。」言うて、それこそ、まま食え、とと食えで大きにしよりましたら、まあ、一年、二年、三年、五年とたって「はーあ、もうなあ、二十にもなっても同しことじゃ。同し五分じゃが、ほんになに一つ頼もうもないしなあ。」ていうて言うたそうな。
そうしたら、五分次郎は「いや、わしはなあ、お父さんやお母さんやなあ、これから養うけえ、鰯売りをするけえ。ちょっと元をくれえ。」言うた。元を出したら鰯を三匹買うて、鰯を縦に負うて、そして、鰯ぃ売りぃ行って、大きな大きなうちに行ったら「鰯はいらんか。」て、声だけは大きな声が出るじゃけえ、そう言うたところが、「ああ、鰯は珍しい、久しぶりじゃなあ。」言うて、女中さんが篭を持って買いに出てみるところが、何にもおりゃあせん。
 「何にもおりゃあせん。鰯売りはどこにおるじゃろう。」
 「あっ、ここじゃここじゃ、ここにおります。ここに。」見りゃあ、五分ぐらいな人間が鰯を縦に負うて、鰯ばっかり歩きよるような。
 「あ、そうか、そうか、ほんならまあ何じゃ、もらうじゃわ。」言うて、その家で買うてくれたそうな。
 「わしゃあこいからなあ、何里の道もこの足じゃあ歩けんけえ、泊めてくださいなあ。」「そりゃまあ、おまいみたいな者は、どっこいでも寝させられるけえ、そりゃあ泊めてあげるわ。」言うたところが、「食べるもんは、わしゃ持っとるけえ。」「そんなら泊めてあげる。部屋の隅でも、どっこでも泊めさせれるわ。」言うて、泊めたところが、なかなか賢いいうか、利口なもんじゃ。そいから自分が小うまい粉をしてもろうて、それを食べて、それは残いとった。
 その家に一人娘のお嬢さんがあった。そのお嬢さんの奥の間に、お嬢さんの長まっておられた。
 夜中にだあれも寝静まってから、それから、そのお嬢さんの口のほてらにその粉、いっぱいこと塗りつけておいた。
 そしてまあ、夜が明けるしすりゃあ、五分次郎は大変に悲しげにすこすこすこすこ泣くけえ「こりゃあまあ、どげしたじゃえ。五分次郎さん。」言われたそうな。
そうすると、五分次郎は「わたしゃあ、ほかのもなあよう食べんに、わたしの食べるもんをお嬢さんが、みな食べてしもうて、今朝は何にも食べれん、食べるもんがないじゃ。」言うた。
 「そんなことがあるもんか、うちにゃあそんなことをするような娘じゃない。」って、奥に入って見りゃあ、ほんにお嬢さんの口のほとりゃいっぱい粉つけとる。
 「何ちゅうことじゃあ。」いうようなことで「どうしても粉ないけえ、食べるようがない。」て言うたら「どぎゃあしようもない。粉でもひいて返すし、どぎゃしたらええじゃろ。」言うたら「わたしゃあ、粉もお金も何にもいらんけど、お嬢さんをお嫁さんにほしいじゃ。」って言うたら「まーあ、そんなことは…。」言うて、お母さんの方は困っとられるところが、お嬢さんが言うたそうな。
 「いったんそう言われたら、そうしたらしかたがない。わたしゃあ取って食べたたあ思わんけど、そいでも口についとりゃあしかたがないじゃけえ、ほんならまあ、お嫁になって行くじゃわ。」言うた。。
 それからまあ、お嫁になって行きよったら、そいたら、お嬢さんはまあ、きれいにこしらえて、そうして、まあ、五分次郎を歩かせるいうたってかなわんじゃけえ、たもとへ入れて、そうしてまあ行きよられた。そしたら、ある家がなあ、馬を出いて笹を食いよった。五分次郎が「馬が見たい。」言うたので「そんなら見せてあげよ。」言うて、それに出て笹の実ぃひょっと留まらせらせたところが、そうしたら、笹を馬が食うてしもうた。
 「こりゃあほんに、馬が笹を食べて…。はーあ、わたしの旦那は馬に食われた。」言うて、大変にお嬢さんが悲しがったところが、馬がぽってぽってウンコをたらしたら、それの中へ五分次郎が入っとって、きれいに洗うたそうな。五分次郎はまた「馬が見たい。」と言うものだから、お嬢さんは言うたそうな。
 「馬が見たいの言うことがないようにしんさいや。」言うて、次郎はきれいにきれいに洗うてもろうて、入れてもろうて戻ってきた。
 「今、戻ったで。戻ったはええが、嫁さんをもろうてもどった。」
 「まーあ、何じゃあ、お姫さんのようなお嬢さん、連れてもどっとるけえ、何ちゅうことじゃ。あがなうちから、ほんにお嬢さんをもろうてや。そりゃまあ、ありがたいことじゃけえ。」とお父さんとお母さんは言うて、次郎と嫁さんに「ほんなら、おまえらはなあ、四国の金比羅さんに参ってきんさいな。」言うた。
 五分次郎と嫁さんは、そいから金比羅さんに参りよったそうな。
 ずっと大きな船に乗ったら、次郎も船の甲板にあがって、まあ、見りゃあ、ずっと魚がおる。
 大きな海を渡りよったら、喜んで、喜んで、五分次郎がずっと跳ねくりまわりよったところが、海いはまって、お嬢さんは「まーあ、情けない。ほんにいっぺんは笹で助かったけど、今度ぁ海ぃはまったが、どうすることもできん。ああ、わしはいったん参る言うただけえ、一人でも金比羅さんに参ってくるけえなあ。」言うて、そして宿へ泊まったそうな。
 そうしたところが、宿のまな板の周りに人がぎょうさんおりよる。「何ごとじゃろう。」思うて、お嬢さんが出て見たところが、大きな鯛を刺身にするところだった。ところがその鯛が、まな板の上で暴れて「こりゃ何ごとじゃろう。」言うて、宿屋の衆もあきれていたら「包丁、危ない。包丁、危ない。」言うて、その鯛がものを言うのだそうな。
 「この鯛はものを言うが、何ということを言うじゃろう。」いうて言う。それで聞いてみたら「包丁、危ない。包丁、危ない。」て言う。五分次郎の嫁さんが「実はわたしの主人が、船から落ちて、そうして海へいったら、そこに大きな魚がおって、それがぼっと飲んだです。今、『包丁、危ない』言いよるけえ、ちょっと待ってみてもらえんかなあ。」て頼んだ。「そーんなことですだか。」いうやなことで、待ってもらっておったら、それから、宿屋で料理が出来るししたが、(じょうじゅう)そうしておられたら五分次郎がこぼーんととんで出てな。「何ちゅう、まあ、たいしたことじゃ。」
お嬢さんがほんに喜んで、喜んでおった。そいからまあ、よばれて、あくる日になった。
 お嬢さんと五分次郎は金比羅さんに参って、そして戻りよったところが、日が暮れたそうな。で、どうにも宿まで帰れんもんじゃけえ、途中で、一軒屋があったもんじゃけえ、そこい寄ったそうな。そうしたら、おばあさんが一人おられて「うちにゃあなあ、鬼が泊まる鬼の下宿じゃけえ。そいじゃけえ、おまえたちゃあ危ないけえ、そいじゃけえ、嫁さんの方はここの桶があるけえ、これかぶしてあげる。それから五分次郎は、その柱に傷があるところに潜んどれえ。」言う。それから、五分次郎は潜んどるしして、そこい泊めてもろうて「大きい声、出されんで。」いうて言われそうな。
 それからまあ、一夜さそこい泊まっとったところが、赤鬼、青鬼、黒鬼…いっぱいことやって来た。ことことことこと、でんでんでんでこでんでこでんでこ、ずっと力比べをして、相撲取り始めた。
 そうしたところがなあ、柱の傷に潜んでいた五分次郎が喜んで「やつ来い、やつ来い、やつ来い、やつ来い。」「赤鬼勝った。」「黒鬼勝った。」言うたら「あ、今夜は違う。今夜は違う。こりゃ化物じゃ。化物が出る。化物が来る。」言うて、鬼がもう、ずっとおびえて「ここにゃあ、おられん。ここにゃ、ここにおりゃあ危ない。ここにおりゃあ危ない。」言うて、鬼がみな逃げてしもうた。
「やれやれ、ああよかった、よかった。おめえたち、助かってよかったなあ。」とおばあさんが言うたそうな。
 夜が明けてみりゃあなあ、見りゃあなあ、鬼が打ち出の小槌、忘れとってなあ、そして「こりゃあ打ち出の小槌じゃで。これでたたきゃあ、なんでもできるぜ。」て五分次郎が嫁さんに「これでわしょをたたいてくれえ。」言う。
 「一寸伸びい、一寸伸びい、一寸伸びい。」嫁さんが五分次郎をたたくたんびに、ずんずんずんずん大きゅうなって、とーうとう五尺三寸のええ男になった。
 そいからまあ、二人が金比羅さんにお礼参りをして、そして打ち出の小槌を持って帰ったところが、もうお父さんとお母さんはびっくりして「何ごとじゃろう。」思って、見るところが、五尺三寸の五分次郎がええ男じゃし、お嬢さんは大きなええ嫁さんじゃしして、まあ、喜んで、喜んだ。
 嫁さんもええ長者から、あれこれあれこれ荷物も持ってこられるけど「まあ、家をせにゃあならん。」いうところになって打ち出の小槌で打ったそうな。
 そうしてまず屋敷所ができて、続いて打ち出の小槌を打ち出して「家もするわ。」「蔵もするわ。」言うて、家も蔵もできてなあ、やっぱり神の申し子じゃけえ、ひときりはえらい目もしたけれど、それこそ長者とつき合えるようにな立派な家も出来、ええお嫁さんと聟さんとができて、お父さんやお母さんがたいへんに喜んだ。そればっちり。(語り手:明治40年生まれ)
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解説

  なかなかスケールの大きい話である。関敬吾『日本昔話大成』によれば、本格昔話の「誕生」の中にある「田螺息子」とか「一寸法師・鬼征伐型」、「親指太郎」あたりに該当する話であろう。


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