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昭和62年(1987)8月22日、智頭町波多で採集

語り
 昔なあ、倉吉のそばに多根というところがあって、その多根に藤助いうてとっても元気で、胸ひげを長く生やして、度胸のすわった元気な男があったのだそうな。

 その男が、「ちょっと倉吉へ買物に出るけえ。」と言って出た。けれども、晩に遅くなってしまって帰っていたところが、大きな狼がずっと寄って来て、その藤助の体にすりよって、大きな口を開るものだから、他の者なら恐れて逃げるけれど、度胸のすわった藤助だから、よく狼を見たら、「おおお、何を食うたらいや、何ちゅう大きな骨が喉にまでつまっておるがな。待て待て。」と言って、狼の喉に手を入れて、そうしてその骨を取ってやったら、狼がほんとうに、人間ならさもうれしそうに、頭を何回か下げて、そしてまあ、逃げてしまったって。
 それから、藤助がもどってみると、もう早くも日も暮れてしまっているし、そうしたら、まあ、きれいな娘さんがおって、「あのう、藤助さん、藤助さん。わたしは今日、晩は遅うなったし、行くとこはなし、今夜一晩泊めてつかあさいなあ。」と言う。
 「泊めてごせえ、言われたって、わしの食うもんもないようなことで、おめえの食うもんや何やありゃあせんし。」と言うしすると、「何にも食べるもんはいらんけえ、宿がのうて困っとるけえ、泊めるだけ泊めてつかあさいな。ご飯がなけにゃあご飯もしますで。」言うので、そしてその夜は泊めてやったところが、その娘は米を出して、ご飯を煮てちゃんとしたそうな。
 「まあ、いぬるとこはなし、ちいとうでも置いてつかあさいな。嫁さんにしてつかあさいな。」とその娘が言うものだから、「まあ、あんたみたいなもんに、よも嫁さんやなんや…、うら(自分)の食うもんさえ、やっとこせのこっちゃあに、そらなあ…。」
「あんたぁに金もうけさせますけえ、わしの食うもんやなんや心配してごされんでもいい。」そう言って、毎日毎日、ほんとうに自分の食べるものも、藤助の食べるものも、ご飯を煮て食べさせるし、よく働くの何の、昼は昼でずっと働き、夜はそれこそ機(はた)の管(くだ)を巻いたり、糸をとったりして、まことによく働く。
 毎日、そうしてよく働くものだから、藤助の家もまことに、楽しくおもしろく過ぎて行ったところが、ある日の晩のこと。外からたくさんの声がするなあ、と思たら、
「藤助さん家のねえさん、ちょっと用があるけえ、出てごらん。」言うので、出てみたところが、狼の連れがいっぱいごと来ていて、「ねえさん、そこの離れたとこへ大きな松の木のエボに六部がとまっとって、その六部がずっとおるけえ、今日はええ大きな餌へありついた思うけど、つげ狼つげ狼が次い次いするけど、もう一人じゃが。そいじゃけえ、ねえさんが行ってごされんか。そしてちょうどねえさんが一番上でつがれるけえ、六部の脚を引っ張って落えたったらそいでええけえ。」と言ったそうな。そうしたら、「よし。」と言って、その藤助の嫁さんが、「藤助さん、ちょいと出て来てすぐもどるけえな。ほんならちょっと暇つかあさいや。」と言って、ちょっと出て行ったそうな。
 そうしてある一定の時間がたったら、もどってきて、「藤助さん、今もどったけど、わしゃあ実は藤助さんにあのおり助けられた、喉の骨を取ってもろうた狼じゃけれど、あんまり恩になったけえ、藤助さんに金もうけさせましょう、思うて、それでこうして人間に化けて藤助さんの手伝いをしょう思うたけど、そいじゃけえ、見破られたらしかたがねえ、いなんにゃならんけえ、藤助さんに別れをせにゃあならんじゃ。」と言ったそうな。

 そうしたら、「でも田植えをする今になって、おまえがいんでごしたら困るなあ。」と藤助が言ったら、「いんや、その方は心配ない。田圃をすいてきれいにして、苗配っとかれたら、そげしたらちょうど明後日(あさって)が十五日になるけえ、いい夜じゃけえ、それでわしらぁの連れがみんな来て、そして田はきれいに植えてあげるけえ。」と言う。
 「そりゃあ植えでもええけどなあ、いんだら困るじゃけれど、まあ、嘘じゃか本じゃか知らんけれど。」そう思って、それから藤助が田のすき取りをして、ならして、苗を配っておったところが、十五日の夜になったそうな。
 「まあ、あぎゃんことを言うたけど、嘘じゃろうがなあ」と言って藤助が寝ていたら、
  多根の藤助の この田の稲は 穂にはならず 水ばらみ
  多根の藤助の この田の稲は 穂にはならず 水ばらみ
と言う声がする。
 「まあ、穂にはならず水ばらみて、変なケチな歌ぁうたうなぁ」と思ったけれど、そのうち夜が明けて朝になったそうな。
 「どぎゃあなこっちゃろう。歌までうたいよったが。」と思って出てみれば、ほんとうに大きな田がきれいに植えてしまって青々としているそうな。
「まあ、ほんにあぎゃぁな獣(けだもの)でもなあ…。」と言って藤助さんは、それから水を見たり、肥もやったり、また水を見たりして、田の草を取ったりしていたら、よその稲より大きなよい稲ができた。
 そうしていたら、よその家の稲は全部穂を出すのに、どうしたことか藤助さんの稲はちっとも穂を出さずに、背(せい)は伸びるばかりだったそうな。
 そうしているうちににみんなの家の稲が熟れて、みんなが稲刈りだ言って稲を刈るししするのに、藤助の家のはその大きな稲がちょっと熟れたような黄いな赤い色になったけれど、穂が出んものだから情けないことだなあ。それでももう米もないし、そこで藤助は、「この藁なりと刈り取って、臼に入れて挽いてみようか。」と思って、それからその稲を刈って、熟れた色をしているから、細かく切って、臼に入れてごりごりごりごり挽いてみたところが、ごりごりごりごりと挽けば、いくらでもその藁がみんな米になって、ものすごくたくさんたくさんいつもの年より四倍も五倍もするほど米ができたそうな。
 そして藤助さんはとってもいい暮らしをしたそうな。いくらなんぼ獣でも恩返をししたのだそうな。まあ、そればっちり
。(語り手:明治40年まれ)
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解説
   関敬吾博士の『日本 昔話大成』で見れば本格昔話の「動物報恩」で「狼報恩」があるが、田植えなどの後半部分はないので、この部分はこの話が発展したものということができる。 また、この話は山陰地方には比較的あちこちで聞くことができるようである。


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