昭和62年(1987)8月24日、鳥取市佐治町尾際で採集
歌詞
山の奥のはまぐりと 海の底の勝ち栗と 水で焚いて 火でこねて
あしたにつけたら 今日治る ああおかし(伝承者:大正5年生)
解説
現実にはあり得ない内容をうたって楽しんでいた、かつての子どもたちの姿が想像できる。日本人の歌としては珍しくユーモアがある。東北地方では同類が早物語とかテンポ物語などと称され、早口で語る語り物として存在している。
また、江戸時代には井原西鶴の『世間胸算用』巻四、第三話「亭主の入替り」の最初、乗合船の様子を述べているが、そこで「不断の下り船には世間の色ばなし・小唄・浄瑠璃・はや物語…」とあり、ここからも当時流行していた民間文芸であったことが推定される。
ここで『日本歌謡集成』(巻12)にある三重県名賀郡の雑謡を紹介しよう。
西行法師という人は、始めて関東へ上るとき、のぼるがうそぢゃ下るとき、水なし川を渡るとき、こんにゃくせ骨であしついて、豆腐の奴(やっこ)でのどやいて、どこぞこゝらに薬がないかと尋ねたら、尋ぬれやない事はござんせん。山口はいたるなまわかめ、畑ですまひする蛤が、海にあがりし松茸と、夏ふる雪を手にとりて、水であぶりて火でねりて、あしたつけたら今日なほる。
この後半部分と、佐治町の歌を比較してみると、やはりどこか関連を感じさせる。そうして見ると、このような早物語が、山陰では一つは子どもの「ことば遊び歌」という形で定着していると考えてよいようである。
ところで、わたしは島根県隠岐郡西郷町益見で「相撲取り節」として以前収録したのが、ちょうど今回の歌に関連していた。つまり、鳥取県ではわらべ歌となっているのが、島根県では大人の民謡である「相撲取り節」として、その命脈を保っているのである。次に紹介してみよう。
寺の坊主が修行に回る 水ない川を渡るとき
クラゲの骨をば足に立て コンニャク小骨を喉に立て 豆腐の小角で目鼻打ち
これに薬はないかいと そこ通る娘に問うたなら このまた娘がちゃれたやつ
これに薬はいろいろと 千里奥山蛤と 海に生えたる松茸と
水のおく焼きして延べて 明日(あした)つければ 今日治る
(伝承者:明治41年生)
これはまたさきほどの三重県の雑謡とそっくりである。そして鳥取県佐治町の「ことば遊び歌」の後半部分ともまた関連のあることは説明するまでもなかろう。
このようにして庶民の世界においては、いろいろな種類の歌に姿を変えながら、伝承歌は命を永らえ続けているのである。