歌詞
二郎や 太郎や どこに馬つないだ 南蛮畑の梨の木につないだ
何食わしてつないだ 藁食わしてつないだ
藁の中見れば 小さい小袖が三つ三つ
三つになる小僧が お寺から下りてきて 何きゅうとおっしゃぁる
袴きゅうとおっしゃぁる 袴の裾に何型つきょうやら ずくしまぶれ里柿
ハンナの枝に雀が一羽 鴉が一羽 鳶が一羽
雀はチュンチュンチュンのもの
鴉はカアカアカンのもの
鳶は熊野の鉦たたき 鉦たたき
解説
岩美郡岩美町浦富に住んでいた女性(明治39年生まれ)からうかがった子守歌であるが、この方は福部村湯山(現・鳥取市福部町)出身だった。
驚いたことには、江戸前半、元禄文化盛んな頃に生まれた鳥取藩士の野間義学(野間宗蔵とも。元禄5年・1692?~享保17年・1732)が、当時の子どもたちから採録したわらべ歌を『古今童謡』(『筆のかす』の写本ともされる)に収録された次の歌にそっくりなのである。
二郎よ太郎よ 馬どこにつないだ ばんばん畑にしころことつないだ
何食わせてつないだ 藁食わせてつないだ
藁の中を見たれば 白い小袖が三つ三つ 赤い小袖が三つ三つ
三つに成る若うが 寺から降りて 袴着よとおしやる
袴のこしに何型つきょうよ むめろかまろづくし まふり さとうがきのはんな
はんなの上に鳶かとまる カラスがとまる
カラスの首をひんねじねじて ちょうろに見すれば ちょうろはかちて、
殿様御馬はさんはこはごとく いちがととは槍持ち
槍の先 蜂がさいて すぼらぼんのぼん
(カラスがとまる カラスの首はねぢあがつた首らや 首らや)
義学の生きた時代は江戸時代前半期。徳川綱吉を中心にその前後を含む時期で、いわゆる元禄文化といわれている。それは京都・大坂などの上方を中心に発展した文化であり、庶民的な面が濃く現れているが、文化を支えたのは、町人ばかりでなく、武士階級も多かった。この歌は、江戸時代の流れを汲む貴重なものであることが理解できるであろう。
昭和55年(1980)8月25日、岩美町浦富で採集
歌詞
二郎や 太郎や どこに馬つないだ 南蛮畑の梨の木につないだ
何食わしてつないだ 藁食わしてつないだ
藁の中見れば 小さい小袖が三つ三つ
三つになる小僧が お寺から下りてきて 何きゅうとおっしゃぁる
袴きゅうとおっしゃぁる 袴の裾に何型つきょうやら ずくしまぶれ里柿
ハンナの枝に雀が一羽 鴉が一羽 鳶が一羽
雀はチュンチュンチュンのもの
鴉はカアカアカンのもの
鳶は熊野の鉦たたき 鉦たたき
解説
岩美郡岩美町浦富に住んでいた女性(明治39年生まれ)からうかがった子守歌であるが、この方は福部村湯山(現・鳥取市福部町)出身だった。
驚いたことには、江戸前半、元禄文化盛んな頃に生まれた鳥取藩士の野間義学(野間宗蔵とも。元禄5年・1692?~享保17年・1732)が、当時の子どもたちから採録したわらべ歌を『古今童謡』(『筆のかす』の写本ともされる)に収録された次の歌にそっくりなのである。
二郎よ太郎よ 馬どこにつないだ ばんばん畑にしころことつないだ
何食わせてつないだ 藁食わせてつないだ
藁の中を見たれば 白い小袖が三つ三つ 赤い小袖が三つ三つ
三つに成る若うが 寺から降りて 袴着よとおしやる
袴のこしに何型つきょうよ むめろかまろづくし まふり さとうがきのはんな
はんなの上に鳶かとまる カラスがとまる
カラスの首をひんねじねじて ちょうろに見すれば ちょうろはかちて、
殿様御馬はさんはこはごとく いちがととは槍持ち
槍の先 蜂がさいて すぼらぼんのぼん
(カラスがとまる カラスの首はねぢあがつた首らや 首らや)
義学の生きた時代は江戸時代前半期。徳川綱吉を中心にその前後を含む時期で、いわゆる元禄文化といわれている。それは京都・大坂などの上方を中心に発展した文化であり、庶民的な面が濃く現れているが、文化を支えたのは、町人ばかりでなく、武士階級も多かった。この歌は、江戸時代の流れを汲む貴重なものであることが理解できるであろう。