語り
昔あるときになあ、まことに正直なおじいさんがおって、まあ、年は寄るし、食べることもやっとしていたけれど、正直なので、氏神さんに日参をしていたところが、そうしたら、ある日、
「拝殿の前に頭巾があるけえ拾ってかぶっとりゃあ、何の言うことも聞こえるじゃ、木じゃろうが鳥じゃろうが何の言うことも聴き分けられる。」
と氏神さんが言われたので、おじいさんはそれを拾って帰っていた。
ところが、途中で休憩しようと野原で腰をかけたら、鴉が来て木の枝に止まって話し始めたそうな。
「まあ、ほんに何じゃ、人間て分からんもんじゃなあ、あそこの旦那さんが、ほんにあんな病気じゃけど、医者じゃあ神主じゃあ、なんぼ替えても治りゃあせんが、ほんに人間て分からんもんじゃなあ。」
「ふーん、そうか、あそこの隠居さんはなあ、こういうわけじゃで。」
と言って、鴉同士が盛んに話しはじめ、そしてそれがおじいさんにはよく分かるそうな。
「あそこの隠居さんはなあ、あそこい蔵ぁ建てられたがなあ、蔵の建てられたその蔵のコミ(木舞…竹などを縦横に組んだ壁の下地)の羽目板に蛇が挟まって、それをコミに打っとるけど、それが分からんじゃけえ、そりゃあ苦しゅうて苦しゅうて、ほんに苦しみながら、死んだじゃけえ、そいつう出して祭ってやったらなあ、そしたら治るじゃけどなあ。その旦那さんが苦しまれるわけじゃがなあ。」
鴉はそう言っているものだから、
「さーあ、そうかそうか、まーあ、鳥の言うことがありありと分かるわ。」
と言いながら、おじいさんは感心していたが、その家に入って行って、
「じゃ、わしがちょっとほんなら診てあげます。」
と言って旦那さんを診察した後、
「実はこうこうで、この家にゃあ土蔵が建てられたことはないか。」
と家の人に言うと、
「いんや、建てましたじゃ。土蔵を建ったところがこういうわけじゃ。」
と言う。
「そうかそうか、ふーん、ほんならまあ、その土蔵のコミに蛇が一つ挟まっとって、それがたいへんに苦しんで死んでしまっておりよるけえ、それを出してやったら病気は治るで。」
と教えてやりました。
家の人たちは、
「まあ、何ちゅうええことを聞いたじゃ。」
と言って、それから蔵のコミをはぐって見るところが、なるほど蛇がほんに白くからからになって挟まっとって、そいからその蛇を、
「ほんに悪いことをした。知らんいうものはなあ。」
と言って川に流してやったら旦那さんの病気は、すっと治られて、みんなはほんとうに大喜びをしたそうな。
それでおじいさんは大きなお礼をもらって、帰ったそうな。
そうして、何日かたってからか、また出かけていたら、今度は長者のお嬢さんの身体が痛くて苦しんでおられるのだそうな。それも医者や神主や薬じゃあ治らないし、とても困っておられるのだそうな。
そうしたら、おじいさんがそこの家の前を通っておったところが、
「法者人(ほうじゃにん)、法者人。」
と言って女中さんが出て来て、ちょっとおじいさんを引き留めて、
「ちょっとまあ、こういうわけじゃけえ、診たってえな。」
と言うものだから、おじいさんはその家へ入って行ったそうな。
「それじゃあ、わしを娘さんの部屋に一夜さ泊めてつかあさいな。」
と言ったら、家の人たちは、
「そりゃあ、なんぼないと泊まってつかあさいや。」
と言う。
おじいさんが娘さんの部屋に泊まっとったら、夜の夜中に松が桧(ひのき)の見舞いに来る。
「まあ、じゃけどとてもとても、わしゃぁかなわんけえ、どげえしようもない。ようこそみなさんが親切にしてくださる。」
と桧は松なり杉なり樫なり、まあいろいろにみんなに礼を言うて、まあ、遺言したりしているそうな。
そうしたところが、
「人間ちゅう者は分からんもんじゃなあ。ここはなあ、きれいな部屋ぁ建てられたけど、その部屋の下に桧の株があって、その桧の株から春になって芽を出しゃあ、そうすりゃあ、まあ、雨垂れが落ちちゃあ、また桧の芽を腐らかし、また、まあ、春になって芽を出しゃあ、その芽を腐らかし、どうにも生きることも死ぬることもかなわんじゃけえ、たいへん苦しんどるようじゃけえ。」
と言う。
それから、話はまだ続いとって、
「『まあ、春になったら、芽が出てええ日がくる』言うて、みんなが見舞いに来てくれるけれど、どうにもそれが芽が出ても成長せんもんじゃけえ、たいへん苦しみよる。」
こういうことを、松なり杉なり樫なりが輪になって言っているそうな。
明くる日の朝、おじいさんは、
「この家にゃあ部屋、建てられたに、そこい桧の株があって、それが芽を出しゃあ雨落ちで腐れ、まあ、芽を出しゃあ雨落ちで腐れ、死ぬることも生きることも、その桧ぃとっちゃあ苦しみたちよるけえ、その部屋をなあ、砕くか何とかして、その桧の株ぅ生きるか死ぬるか、とにかく出してあげにゃあいけん。」
と言ったそうな。
「まあ、そうか」とみんなも言って、その部屋を砕いて見たら、ほんとうに大きな桧の株があって、その桧の株から芽が出れば、雨が落ちて腐りかけるし、また芽が出れば、またそこへ雨が落ちて腐りかけるしして、そしてどうしても、大きくもせず殺しもせずししていることが分かったそうな。
そこで、みんなはその部屋を砕いて、その部屋の底を取ったら、もうけろっと娘さんの病気が治ったそうな。
「まあ、何ちゅうありがたいことじゃ。」
と言うところだった。
このように頭巾を持っているために、おじいさんが大いに重宝がられたそうな。そうして娘さんもきれいに治っておられるし、よその旦那さんも治られるしたものだそうな。喜んだ家の人たちが、
「まあ、ほんにどぎゃなお礼をしてええやら。」
言ったところが、おじいさんは、
「わしゃあお礼も何にもいりゃあせんけれど食うに困っとるのじゃけえ。もうこの年になったら食うことも出来んのじゃけえ。」
言うたら、
「それじゃあなあ、ほんならうちでなあ、一期(いちご)、うちのおじいさんとして暮らいてごされんかい。」
とみんなは言ったそうな。
「そりゃあ、ありがたい。」
ということになって、おじいさんは、その家のおじいさんのように養ってもらわれたとや。そればっちり。(伝承者:明治40年生まれ)
解説
この話は、当地では比較的珍しいものである。中国地方では岡山県3話と広島県に1話記録されているだけ、山陰両県は空白地帯となっているのである。
関敬吾博士の『日本昔話大成』から、その戸籍を眺めてみると、これは「本格昔話」の中の「呪宝譚」のところに3種の「聴耳」として分類されている。
主人公のおじいさんは、一般的に昔話に共通している正直で信心家であり、やっと生活している貧しさである。それを氏神さまが哀れんで、結果的には幸せを授けてくださるという筋書きになっている。
わたしはこの他に西伯郡大山町高橋で、同種の話「狐女房」をうかがっている。この話は子どもに正体を見破られた狐の女房が、呪宝を夫の阿倍保名に渡して篠田の森へ去って行く。後に子どもは呪宝をを活用して、成人の暁にはりっぱな八卦見になることで話が終わるものであった。