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昭和62年(1987)8月23日、智頭町波多で採集

語り
 昔あるところになあ、お父さんとお母ちゃんと娘さんが一人あってなあ、「一人娘がまあええ娘になったじゃけえ、婿さんを取ろう。」いうて言いよったが、どんな具合いじゃ知らんが、娘さんが大きな腹になって、「こんな大きな腹ぁしとりゃあ、もうどぎゃあにも婿はねえし、これじゃあ困るじゃけえ。」言うて、「ままぁ食わせなんだら、中の子が死のうけえ。」思うて、親を考えずと中の子が死ぬることばっかりお父さんとお母さんとが思うて、何日もご飯を食べさせず、腹は小もうもならん大きゅうなるじゃししておったところが、娘は内で子どもは養うても、どうしてもまあ、自分が食べさしてくれんもんじゃけえ、とうとう死にましてなあ、そいたら、お父さんとお母さんとが、しかたがないじゃけえ、泣きの涙で野辺の送りをしたじゃそうな。
 そしたところが、ある飴屋に夜になると、一文銭を持って、そして飴買いい出るけえ、飴一つか二つか知らんけれどやったら、「ありがとう。」言うて、そのええ娘さんが帰って、そうして、また毎日、その一文銭持って出よったが、まあある一定の六文がすんだら金がないじゃけえ、桐の葉を持っちゃあ出るけど、まあ、そうして寝るおりにみんな寄りようて、そして算用するじゃそうな。
「まあ、木の葉がついて出とるわ。」いうようなことで、桐の葉、捨てる。また明くる日も、また、「桐の葉ついちょるわ」言っちゃあ捨てる。あんまりも何日もたつうちに気づいて、昼にゃあ出ずと、娘さんが日暮れぇなってから飴買いぃ出るなあ、そして飴一つ喜うでよけいは買うていなんけど、毎日買いに出る娘さんがある。そこの番頭さんが、「こりゃあ不思議な、まあ、わしゃぁあの娘さんの後を追うてみたる。」言うて、その番頭さんが後を追うて行ったところが、その一人娘の死んだ新墓の前へ行くというとことっと消えてしもうて、とっとおらんようになるし、「まあ、えらいことじゃ、あの新墓からこの娘さんは出よるがよう。」言うて、そうしたら、まあ、それこそ村から町から大評判になって、「まあ、掘り返いてみよう。」いうことになって、そのうちの人が掘り返いてみたじゃそうな。そうしたらその娘さんは、真っ黒うなって、死んどるじゃけえ、真っ黒になっとるけど、そのやや子はずっとまるまる太って、よーう太って、そのまるまる太った赤ちゃんが、飴を握っとったじゃそうな。
「はーあ、こりゃあ幽霊でも子はかわいいもんじゃなあ。」言うて、その幽霊が子どもを育てて、そぎゃしてまるまるしとったいう子どもがなあ、生きとったいうことですがよう。それで、そればっちりですけどもなあ。
(伝承者:明治40年生)

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解説
 この話は関敬吾氏の昔話分類では、本格昔話の「4誕生」として位置づけられ、話型が述べられている。

子育て幽霊
1.妊婦が死んだので葬る。

2.(a)幽霊になって毎晩同じ時刻に一文銭を持って飴を買いに来る。または(b)地中で子どもが生まれた夢を見せる。

3.墓を掘ると屍が生きている男児を抱いている。買った飴がかたわらにある。

4.子どもを救い出して育てる。(後に名僧になる)。

  この話は人気があるのか、稲田浩二他編『日本昔話通観』(同朋舎)で調べてみると全国で244話存在しており、同シリーズで認められなかったのは六道県(宮崎、神奈川、千葉、栃木、岩手、北海道)に過ぎない。筋書きはどこも似たり寄ったりであり、寺の新墓に埋葬されたばかりの妊婦から、生まれた子どもの性別は男の子の場合が圧倒的で、その子が成長して名僧になったとつながってくるのである。ただ、八頭町の語りでは生まれた子どもは男女どちらかが不明なので、その子が名僧になったと続ける訳にはいかず、将来については語られてはいない。
 松江市では松江市中原町の大雄寺に関する伝説として小泉八雲が次のように紹介している。

  中原町にある大雄寺の墓場には、こんな話がある。
 中原町に、水飴を売っている小さな飴屋の店があった。水飴というのは、麦芽からつくった琥(こ)珀(はく)色の糖液で、乳のない子にあたえるものである。この飴屋へ、毎晩、夜がふけてから、色の青ざめた女が白い着物を着て、水飴を一厘買いにくる。飴屋は、女があんまり痩せて、顔の色が悪いものだから、不審に思って、親切にたびたび尋ねてみたが、女は何も答えない。とうとう、ある晩のこと、飴屋は物好きに女のあとをつけて行ってみると、女が墓場へ帰ってゆくので、飴屋はこわくなって、家へもどってきてしまった。
 そのあくる晩、女はまたやってきたが、その晩は水飴は買わずに、飴屋に自分といっしょにきてくれといって、しきりに手招ぎをする。そこで飴屋は、友だちをかたらって、女のあとについて墓場へ行ってみた。とある石塔のところまでくると、女の姿がばっとかき消えた。すると、地面の下から、赤児の泣き声が聞こえる。それから、みんなして石塔をおこしてみると、墓のなかには、毎夜水飴を買いにきた女の骸(むくろ)があって、そのそばに、生きている赤児がひとり、さし出した提灯の火をみて、にこにこ笑っていた。そして、赤児のそばには、水飴を入れた小さな茶わんがおいてあった。この母親は、まだほんとに冷たくならないうちに葬られたために、墓のなかで赤児が生まれ、そのために、母親の幽霊が、ああして水飴で子供を養っていたのである。-母の愛は、死よりも強いものである。(平井呈一訳『全訳小泉八雲全集』第五巻)

  早くから母親と別れた八雲らしく、「母の愛は死よりも強い」という形で収めている。しかしながら、この話も智頭町のものと同様、生まれた子どもの性別までは述べられていない。ところで、同じ話は石村春荘著『松江むかし話』(自刊)にもあるが、この方は後、北掘町の某家へもらわれてよい娘になったとしている。すなわち、「後、北掘町の某家へもらわれてよい娘になったという。」と収められているのであり、生まれた子どもは女であったことが分かる。


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