語り
昔あるお寺で猫を飼っていた。和尚さんが寝るときにはいつもちゃんと足拭きを枕元に置いて寝ても、明くる朝間、和尚さんが起きてみると、その足拭きがたいそうびしょぬれになっている。それが毎日続くので、和尚さんが、「不思議だなぁ。」と思って、ある晩、寝ずにいたら、お寺で飼っている猫がやって来て、和尚さんのその足拭きをくわえて出てしまった。
「はあて、どこへ行くかなあ。」と思って、和尚さんが猫の後をつけて行ったら、村はずれのお堂まで行った。そこにはたくさんの化け猫たちが集まって、一生懸命でみんな踊っている。よく見たら、お寺で飼っている猫もその中に混じっている。そして汗が出るほど踊ると、猫は和尚さんの足拭きで汗を拭いていた。
「はーあ、そういうことかなー。」和尚さんはそれを見届けてもどって、明くる朝、「猫や、ちょっと来い来い。おまえはなあ、長い間、このお寺で飼ぁてやったけど、今日限りこの寺から暇をやるから出て行きなさい。夕べおまえが仲間と一緒に踊りよったのを見たから、隠しゃあせんけえ言って聞かせるが。その代わりおまえがどこへ行っても、猫の仲間でバカにしられんように、ありがたぁいケツマクぅやるから、これもって行け。」と言われた。
猫は悲しそうに、その和尚さんからいただいたケツマクを持って出て行った。それから、どれくらいか経ったときに、よい若い男がお寺へやって来た。「和尚さんはおられますかな。」「はいはい。」と小僧さんが出て言う。「和尚さん、お客さんがありますが。」「うん、ここに通せ。」
それから、そのお客さんが、「和尚さん、しばらくです。わたしはこのお寺に長いこと置いてもらっていた猫です。ありがたいケツマクをもらったので、どこの仲間へ行ってもバカにされず、頭で通りおります。そこでお礼に和尚さんに大出世をしてもらいたいと思ってやって来ました。今から何日ぐらい先に不幸があって葬式があります。その葬式にゃ亡者はカシャの餌食になっとるけえ、それでどうしても大騒ぎになります。そのときにゃ、どの和尚が来てもかないません。そのとき『あんたのとこの和尚でなけにゃいけんぞ』ってことになります。そのときにゃ来てごしない。それで『ああ、やっぱし、あの和尚はえらい』ちゅうことになって、出世してもらいますけえ。こりゃ嘘ではない、本当のことですけえ、待っとってください。」と言って帰って行った。
それから、何日か経って、「あのときのこと、客が何こそ言うだら。」と和尚さんが思っていたら、使いが本当にやって来て、「どこそこの和尚さんですか。実はこういうわけで新亡があったけど、どこの和尚さんが来ても始末がつかん。それであんたでなけにゃいけんちゅうことになった。それであんたに来てもらわにゃいけんだ。」と言う。「そうか、なら、行こう。」
そうして、その和尚さんが行って、家の座敷に上がってお経を読んで、棺を出しかけたら、一天にわかにかき曇り、外がたいそうな大雨風になってきた。そうしているうちに囲炉裏の方にいた者が、「そりゃ、えらいこった、えらいこった。鍋下ろせ、鍋下ろせ。ほりゃカシャという化けが下りたぞ。」と言った。化物が自在鈎を伝わって下りて来るのだそうな。そして、下りてきた化物が棺桶の近くへ寄って来て、「どこそこの和尚さえおらにゃええと思っとったら、その和尚が来たけえ、持って帰るわけにはいかん。」と言った。その和尚さんは棺桶の上にあぐらをかいて、「取れるもんなら取ってみい。」と言って、ホッスを持って払ったら、化物は、「とてもかなわんぞ。逃げろ、逃げろ。」と逃げてしまった。
それでその和尚さんはそれが評判になって、それから大出世をしたという話だ。昔こっぽり。
解説
この「猫檀家」、鳥取県内ではこれまでに10話余り採集されている。元々はよく知られた昔話であり、全国各地で同類は発見されている。関敬吾博士の『日本昔話大成』(全12巻・角川書店)によれば、本格昔話の「動物報恩」の中にある「猫檀家」として登録されているので、ここではその項目の解説をそのまま引用しておく。
1.貧乏寺の和尚が(a)食うものがないので飼い猫に暇をやる。(b)飼い猫が山で仲間と踊り、または酒宴しているのを発見する。
2.(a)猫が和尚の夢枕に現れ、または(b)小僧に化けて報恩を約束する。
3.(a)長者の娘(婆)の屍が奪われる。または(c)葬式のときに大嵐になる。
4.他の寺の和尚たちは屍(子供)を奪い返すことができない。
5.貧乏和尚が頼まれてとり返し、(a)金をもらう。または(b)檀家が多くなる。
このようにこの話は、れっきとした全国的な戸籍を持っている。ただ関敬吾博士の内容を抽出したものと、この話とを比べてみると、細かいところでは多少の違いが見られる。少し具体的にその部分を挙げてみよう。
例えば猫が寺を出る動機であるが、関博士の方は「食うものがないので飼い猫に暇をやる」としているけれど、三朝町のは「足拭きがぬれているのに不審を抱いた和尚さんが、足拭きを持って出かける飼い猫の後をつけて行くと、その飼い猫は化け猫の仲間になって踊りを踊る。このことを和尚さんが知ったので暇を出す」ということになる。次に、関博士の方では「猫が和尚の夢枕に立ったり、または小僧に化けてきて報恩を約束する」となっているところが、三朝町では「猫が若い男となって和尚さんを訪ねる」ことになる。さらに関博士の方では葬式の場で「長者の娘(婆)の屍が奪われるとか、子供が奪われたり、大嵐になったりする」けれど、三朝町の話では単に「大雨風になり、自在鈎を伝ってカシャという化物が棺桶に近寄って来る」ことになるなどである。
しかしながら、両者の話は大筋では同じであると言ってよいようである。つまり、この小さな相違点がいわゆる地方色と称せられるものであろう。