語り
昔あるところになあ、侍に好いた好いた人がおって、侍にになりたくてたまらないけど、侍にゃあようならんし、何とかなりたいもんだと思っていたそうな。
あるときその人が旅に出ようと思って、山道を行っていたら峠にさしかかった。ところが、峠に石の上へ腰をかけた侍さんが、ちゃ-んと座っておるのだって。
その人は、侍さんだから、無礼があったら斬られるだろうと思って「お侍さん、ご苦労さんでございます。」と言ってもその侍は返事をしない。いくら「ご苦労さんでございます。」と言っても返事をしない。それから側へ行ってつついてみると、その侍さんは目を剥いたまま死んでいる。
「おお、こりゃあまあ死んどるわい。やれやれ、こりゃあええことだ。わしゃ侍になりたいと思っとったに、これが死んどるけえ、ちょうどこんなのべべえをはいだれ。」その人は思って、それから侍さんの着物をみなはいで、自分が着て、自分の着物を侍に着せて、それから刀差いて峠を越えて行っていたところが、殿様の行列がやって来たのだそうな。
「こりゃあえらいもんが来た。ひかかったらこわい。」と思って、それからその人は畑の方に飛び降りて隠れていた。
そうしたら殿様の行列がそれを見つけて、家来に「今、そこへ行ったんは、あれはだれだか聞いてこい。」って殿様が言われたそうな。それから家来が聞きに行った。
「おまい、何ちゅう名前だ」て言ったら、早速のことで名前は出んし「はあてなあ、何だってったらええか。」と思ったら、そこが畑だったから、縁の方に青菜がいっぱい植えてあるし、それからへりの方にカンピョウがあったって。その人は「これこれ。」と思って、「青菜カンピョウと申します。」と言ったら「はあ、そうですか。」と使いはそのことを殿様に言った。すると殿様は「はあ、青菜カンピョウか。わしの家来にならんか聞いてこい。」それから家来がまた行って、その人に殿様のことばを言った。
そうしたところが、「はあ、家来にしてもらいます。」ということになった。それから家来にしてもらって、宿へついたところが、どこの家中でもあるようで悪い家来もおって、それがその宿で「殿さんを殺いたれっ。」と思って、ねらっていたところが、それとは知らずに、その青菜カンピョウが隣の部屋で見ていたら、弓が立てかけてある。槍もある。いろいろとある。その弓を持って引いていたら、ふーっと手がはずれて、矢が飛んでしまったって。そしてその矢が、その殿様を殺そうと思ってねらっていたやつの目の玉へ当たって、それで死んでしまった。それで殿様が「いったい何でおまえはこれを知っとった。」と言われる。「いや、わたくしは目ん玉は両方ありますけど、毎日、晩の一晩のうちに片っぽうずつしか寝ません。夜中まで右の目で寝たら、夜中から夜が明けるまでは左の目で寝ます。それで半分の目はちゃんといっつも起きとります。それで分かったです。」と言った。「はーあ、りっぱな心がけだ。はいっ、褒美をとらせる。」そういうことで「やれやれ、いい気をしたわい。」と思って、そいからひょっと、またついて行ったところが、次の宿へ泊まるようになった。
ところがそこの近くに、大きな溜め池があって、そこに蛇が出るという話だ。
「殿さんに蛇を退治してもらいたい。」と村の者が願い出てきたので、さあ殿様が、
「おい、蛇を退治する者はないか。」と。そうしたら、その青菜カンピョウが「やれやれ、この侍暮らしはいやになったけに、何でも逃げたらないけん。」と思って、
「はい、わたくしがやります。」と言った。それから行きがけに、昔は米を挽いて粉にして、その粉をなめていたから、その粉を二袋買って、そうして出かけたそうな。そして他の家来といっしょについて行っとったのだそうな。 その蛇の住んでいる池まで行って「さーて、困ったもんだ。こいつ、家来がおらにゃ、おら逃げたるだけど、家来がおるけん逃げようはないし、困ったもんだ。」とぶつぶつ言った。そうしていたら、池の中からぶくぶくっと泡がたって、蛇が頭を出してきて、ひょーっとこっちへ向いてやってくる。
ああ、青菜カンピョウは恐ろしくてかなわないそうな。「あーら、どうしたもんか。」と思ったが、名案が浮かんだそうな。
それで買っておいた粉を袋ごと、蛇の口めがけてたーっと投げたら、その袋をごぼっと蛇がくわえたそうな。
何しろ中が粉なんだもんだから、蛇は喉へつまって息ができんようになって、とうとうそこでのびてしまったって。「さーあ、しめたもんだ。おい、死んだ死んだ、おい、おまえらち、これをひっくくって持って帰ろう。」と言って。
さーあ、それで持って帰る。青菜カンピョウはまた殿様からご褒美をいただいたそうな。しかし、青菜カンピョウは「こりゃあ、とってもいつまでもこがないい話ばっかりはないから逃げにゃあいけん。」と思って、それから夜の間に、その宿を抜けて逃げてしまったって。
そういう話。昔こっぽり。(伝承者:明治40年生)
解説
三朝町大谷地区にお住まいだった語り手を訪ねてうかがった話である。この方は、コクのある男性には珍しいにみごとな語り手だった。それというのも二十歳代のころ、積雪が深かったおり、地区内の児童のいる家を訪ねて昔話を語って喜ばれていた経験をお持ちだったからである。
関敬吾博士の『日本昔話大成』によると「笑話」の「誇張譚」の中に「炮烙売(ほうろくうり)の出世」として登録されている。