語り
昔、近江の琵琶湖の横の方に猟師がおって、毎日毎日琵琶湖に鴨撃ちぃ行きよった。
ある日のこと。鴨を撃って、腰に縄をつけて、その縄の間に鴨の首を挟んでずっと先へ先へ行きよったら、また、次で鴨を撃って、ところが、その鴨を撃ったら、鉄砲が弾がそれて、横の方にとんだら、その山を歩きよった猪ぃそれたのが当たって、猪が手負いになってそこの山ぁ暴れまわって、とうとうその山から山芋が五六貫目ほど掘れた。から、猪は捕ったは、山芋は掘った、鴨は取った。持って帰るのにどうしちゃろうと思って、途中に預けといて「まあ、まんだ日も早いことだから。」と思って、またうろうろしよったら、鴨が生きもどって、全部弾が当たっとらなんだか、鴨が生きもどって、パタパタ羽を羽ばたきしだいたら、たくさんの鴨を捕っとるわけだから、その鴨の何十羽の勢いでとうとうその猟師は空中に舞い上げられてしまって、それから猟師はびっくりするがどうにもならん。次ぃ次ぃ空を舞って行きよったところが、とうとう大阪の天王寺の屋根まで、上まで行ったら鴨が弱ってしまって、天王寺の屋根の上へポテンと落とされてしまった。
さあ、そこで猟師はびっくりして屋根から降りることは、お寺の屋根で高いし降りれんし「さあて、困ったもんだ。」と思って、まあとにかくと思って、屋根のはなの方まで出て、大きな声をしたところが、下の方から何事かと思って出てきたが、天王寺の小僧が、おおぜいぞろぞろ出てきて空ぁ見上げて、鉄砲撃ちがおるもんだけえ「和尚さん、和尚さん、たいへんなことです。空の方に、屋根の上に何だか猟師のようなもんがおって、『助けてごしぇ。』言っていますが、どうしましょうか。」て言って「どうしましょうって、そりゃ助けてくれって言やあ助けてやらにゃあいけんが、はて、困ったもんだなあ、どうしようかなあ。」て。
「あ、小僧ええことがある。布団を持ってこい。」。そいから、布団を持って出さして布団の四隅を持たして、小僧に。
「ここへ降りてこい。」って、そいで合図したところが、その鉄砲撃ちが、その布団のまん中めがけてぴょ-んと降りた。
そうしたら、その鉄砲撃ちの重みで布団の四隅がカチ-ンとかちあって、昔から言うように「目から火が出る」ちゅうことがある。ちょうどその手で、目から火が出て、天王寺が火事になって焼けてしまった。その後に何だかここにゃあ生えとるがと思って、見たら、その菜っぱで、そで大きんなってから見たら、その大きな蕪(かぶら)だったと、それでそのときに天王寺蕪(かぶ)という名がついた。それから以後、天王寺蕪(かぶ)という蕪(かぶら)ができたと、そういう話で、天王寺が蕪(かぶら)ができたのが由来だっていうこと。昔こっぽり。(語り手:明治40年生まれ)
解説
関敬吾『日本昔話大成』で分類を見れば、笑話の「誇張譚」の中にあり、「鴨取権兵衛」の名前で登録されている話に当たる。以前どこかでお読みになった話ではないかと思う。