語り
この村に庄兵衛というおじいさんがあって、町に牛を追って何かを持って出たり、買ってきたりする仕事で町通いをしていました。
ところが、このしもの細越というところにキツネがいて、人に悪さしたり、だましたりなんかします。
ある晩、庄兵衛が遅くなって牛を追いながらもどって来ていたら、若いきれいな娘さんが現れて、庄兵衛さんに話しかけてきました。
「どこまで帰んなはる」
「吉尾までいぬる」
「おれもそっちの方にいくけえ、なら、乗せてくれ」。
庄兵衛さんがその娘さんを、ひょ-っと抱き上げて乗せかけたら、とても軽いので、「ははあ、こりゃあ、おれに悪さする手だな」と思って、とてもしっかりと牛の背に縛りつけました。
「そがにようにからみつけてごしなはらでも、落ちらせんけえ」
と娘さんは言うけれども、庄兵衛さんは、
「いんや、落ったときにゃあ悪いけえ、ようにからみつけないけんけえ」
と答えて、やはりしっかりと牛の鞍に縛りつけました。そうして、やがて吉尾の入り口まで帰りました。
「ここでええけえ、おろいてごしぇ」。
「だけどせっかく来なはっただけえ、うちまで行か」。
庄兵衛さんは、その娘さんを自分の家まで連れて帰って、
「おばあさん、お客てらってもどったけん、鍬の鉄焼け」
と言います。というのも、庄兵衛さんは娘をキツネと見破って、その鍬の鉄でキツネを焼くつもりだったのでしょうねえ。そして牛をつないで娘を下ろすようになったら、その娘はひょい-っと馬から飛び降りて、家の中に飛び込んでしまいました。
「どこに行った。どこだし出るところはないだが」
と庄兵衛さんやおばあさんが、いくら部屋の中を捜してみても、さっぱり分かりません。 それから、二人が表座敷に入って見たら、仏壇の上段に本尊さんが二つ同じように、こう並んでおられます。どちらが本物でどちらがキツネの化けた偽物のホゾンさんか分かりません。それで庄兵衛さんが、おばあさんに、
「こりゃ、どっちがどっちだか分からんけど、うちのホゾンさんはお茶すえると、たいへん喜んで鼻もっけれもっけれさしなはるけえ、お茶、まあ、すえてみてごしぇ」
と言いました。おばあさんがお茶を供えますと、計略にかかったキツネの本尊さんが、そうとも知らず鼻をもっけれもっけれと動かしました。それで、「ああ、こいつだ、こいつだ」と庄兵衛さんが鼻を動かした方の本尊さんを捕まえて、その鍬の鉄をひっつけたりして仕置をしました。
そうしたところ、キツネは、
「おれが悪かったけえ、このへんにゃあおらんけえ、こらえてごしぇえ、逃がいてごしぇえ」
と懸命に謝まりました。そこで庄兵衛さんも、
「このへんにおって悪ことせにゃあ、逃がいたるけえ」
と約束さしてから、キツネを逃がしてやりました。
そいから何年か経ちました。庄兵衛さんがはるばる旅をしてお伊勢さんに参っていたら、そのお伊勢さんの薮から、ばっさばっさとキツネが出てきました。そして、
「伯耆の庄兵衛、伯耆の庄兵衛」
と言いいます。「だっだかーと」思って見たら、すっかりやつれたあのキツネが出てきました。
「よそに来たけど、『ここはおれが領分だ』『ここはおれが領分だ』てって、いっかなおれがハン(領分)にすうとこがなあて、このやにやせてしまった。もう悪ことぁせんけえ、もどいてごしぇ」
と、そのキツネが頼みます。 庄兵衛さんはそれを聞いて、
「なら、悪ことしぇにゃあもどいたるけえ」と言って、そのキツネを元の細越へ帰してやりましたと。こっぽり鳶の糞。
解説
明治35年生の話者に聞かせていただいた。
昔話の中でも有名なこの話は「にせ本尊」という題でよく親しまれており、山陰両県でもいろいろなタイプの話に分かれながら、あちこちで聞くことのできるものである。みなさんは幼いころの思い出として、祖父母から聞かされた体験をお持ちのことと思う。
同じ三朝町の大谷地区の男性からうかがったものでは少し話の筋が違う。
ある寺の和尚の名前をスイトンといい、そこへいたずらキツネが和尚の名を呼びかけてやって来るが、小僧に見破られて寺に逃げ込む。島根県のもこの形がほとんどである。