語り
昔、粟島の里、今の粟島神社のあたりに漁師がたくさんおって、そうして漁師が講っていいますか、集会をしたんだそうですわ。
そうしたらそのうちの一人がトイレに行きかけて、炊事場てえか、そこの料理場をのぞいたら、何か得体も知れず、魚とも動物とも分からんものを料理しとったって。そいから、帰って「ここのおやじはたいへんなものを料理しちょるぞ。あんな料理が出たって、みんなが食べえじゃないぞ。」って、話いちょった。
あんのたま、その料理が出て、そいで食べえもんは食べて、食べ残しはまあ、家内の土産にてって包んで持ち帰ったと。
そいから、他のもんは、「あれは人魚だった、どうも。」と。「あんなもん食べちゃあろくなもんはない。」って、家へ持って帰らずに途中でみんな捨ててしまったら、一人のその酔っぱらった漁師さんが、捨てることを忘れて自分とこへ持って帰ったと。
そうして、何か、戸棚なんかへ入れちょったら、それをそこの娘さんが、そのご馳走を取って食べてしまったと。
そうしたら、それが人魚の肉で、その食べた娘さんは、ずっと長生きして八百年まで長生きしたそうな。そいで晩年は、あの粟島神社の洞穴に入って八百年も生き長らえたそうな。そいで、いわゆる八百比丘(尼)さんが、終生住んだというのはあの洞穴だという具合にわたしら聞いております。(話者:大正15年生まれ)
解説
この「八百比丘尼」の話は全国的に伝承されている。長寿を主題とした説話としてまず思い出されるのが、竜宮城へ招待された浦島太郎である。そして、男性が主人公であるこの浦島太郎に対して、こちらは女性が主人公となっている。
また「昔あるところに」で始まる浦島太郎の方は、説話の種類でいえば、昔話であるが、他方、比丘尼の話は、場所を特定しているところから、伝説のジャンルに入る点も対照的である。