語り
なんとなんとあるとこに、安倍保名(あべのやすな)という一人者の男が、鉄砲撃ちをしてまわって、毎日をすごしていたのだって。
あるとき、狐がよい女に化けて来て「なんとおまえ、一人おおなはあが、おら、かかにしてごしなはらんか。飯炊きにしてごしなはい、何でもしますけん。」と言ったって。
「ほんなら、よからが。」と安倍保名が言って、その女に嫁になってもらったら、その女はしっかりと洗濯したり、縫物したり、炊事したりして、とてもよく世話やくよい嫁さんで、保名も喜んでおったら赤ちゃんが生まれるようになって、やがて男の子が生まれたので、『童子』という名につけて「童子や、童子や。」と呼んでとても喜んでかわいがっていたら、その子が三つぐらいになったら、お母さんの狐面がしだいに分かるようになったそうな。
というのも、お母さんは春になったらチョウコやトンボやなんや取って食べたくなってしまったのだって。
「この面を童子に見せちゃあならんけえ、はや、ま、出んならん。」と思って、とうとう書置きをしておいて『恋しくば尋ねてござれよ信太(しのだ)の森に わたしゃ信太の森狐』と書いておいて、そうして、そのお母さんは山の尾根へ飛んでしまったのだって。
安倍保名が仕事を終えて家へもどってみたら、子どもが一人で泣いているので「母さんはどげだ、どげだ。」と言ったって返事はないし、それから見てみたら書いたものがある。「ああ、これはまあ、わしの嫁は狐だったすこだわい。」と思って、それから、男は書いてあった信太が森に行って「童子が母! 童子が母!」と呼んでいたそうな。
そうすると狐がよい女になって出て来て「よもよも、黙ちょってすまんことをした。」と言っいながら、黒い継ぎで包んだものと白い継ぎで包んだものと二つ出してきたそうな。
「その白い継ぎのほうは乳だけえ、ほええとこれ飲ましてごしなはい。そげすりゃほええのが止むし、そうから、黒い方は大きんなって上方の方にでもあがりゃあ、これ持たしてごしなはい。こりゃカラスの聴き耳ていうもんだけん、何でもよう分かるもんだけん。」と渡したのだって。
それで、それを持って帰って「ほんに、もう一回、見しちゃらかい。こうが見納めだけん。」と思って、それからまた、ちぃいとが間(なかい)して行って「童子が母、童子が母。」と言ったら、今度はよい女になって出て行ったけれど「思い切りがつかんけん。」と思って狐になって出て来たのだって。
「やれやれ、きょうと(恐ろしい)や、きょうとや、こげなら、もはや二度と出会われんで。」そう安倍保名は言って、それで、二度と信太の森にはもはや行かなかったって。
子どもは大きくなっったそうな。それから「おらは大きんなったけん、上方へ上があけんなあ、とっつあん。」と言うので安倍保名は、その子にもらったカラスの聴き耳を持たして上がらしたのだって。
そうしたら、その子は八卦見になって、とても繁盛したのだったって。その昔こっぽり。(語り手:明治30年生まれ)
解説
山陰のあちこちの地方でもこの物語は好まれたようで、断片的な形ではあるが聞くことがある。この元の話は伝説「信太狐」であり、大阪府和泉市王子町がその舞台となったと語られている。そしてここでの話でも、子供にキツネであることを知られ「恋しくは 尋ね来てみよ 我やどは 信太の森の うらみ葛の葉」の短歌を残して、森へ去っていくことになっている。これについては現地の『和泉市史』第一巻に詳しい。