語り
なんとなんと昔があるところに、大きな大きな長者があって、朝日長者といっていた。そこにたくさんな男衆(男の奉公人のこと)やら女房衆(女の奉公人のこと)やらおって、若さんが一人あった。
そうしていたら、いつのまにか、つい旦那さんもかみさんも亡くなってしまって、いつのまにやら女房衆も男衆もみんな帰ってしまい、とうとう若さんが一人になり、屋敷もなんにもみんな人の手に渡るしして、どうしようもないものだから、その若さんは、荷物を少しだけ持ってふらりふらり遊びながら遠いところまで行かれなさったら、「入日長者」といって門のかかった長者があったものだから、「あ、ここに入って、ほんに、ダカイゴ(牛飼いに雇われること)でも何でもいいだ、使ってもらわい。」と思って入ったら、ちょうどそのとき釜の下の火焚きが一人、辞めていなくなっていた。
それから家の人が見てみると、人のよさそうな若い者だったので、「ほんなら、使っちゃらかい、旦那さん。」「使っちゃれ、それがええわ。それがええわ。」ということになったげな。それで、「ほんなら、『使っちゃら』て言いなはあけん、今日からわは(おまえは)釜の下の火焚きしぇえよ。」「何でもしますけん、使ってつかあはい」と若さんは言うのだって。
それで、「何てえ名だ。われ。」と聞かれたけれども。
「わしゃ、名はございましぇん。」と言うものだから、「名がなては困あけん…『灰坊』てえ名につけちゃあわい」とつけられたげな。
「灰坊や。」「灰坊や。」といって使われるけれど、丁寧な誠に正直ないい子で、みんなにかわいがられて、それから春山に草が出来たら草刈りに行って、みんながコッテ牛(うじ)やら馬やら追ったり草刈に行ったりするとき、「灰坊、われも行こうや。」と言われると、灰坊は、「ついて行きますわ。」と言ってついて行って、そうして人が二把ずつも刈りなさるのに、自分は石の上に登っていった。
そして、「朝日長者の一人子なれども、今は夕日長者で草をなぐ。」と言ってほんとうに歌をうたって、毎日そうしておられるげな。それでもまた、人が六把刈り終えると、そのころまでには自分もちゃーんと六把刈り終えて、そうして、「さあ、いにましょじぇ。」と言って、いい束を刈って担いで帰るのだって。
そうしていたところが、今度、秋になって祭りには、遷宮(せんぐう)があるのだって。みんなが旦那さんに賃金を前借りして遷宮ご(遷宮見物用の衣装)買うのに、
「わあも買え。」と手代が言ったって、「わしゃいりましぇん。参らんけん。」と言って、本当にどうしたって買わないのだって。それでしかたがなかったげな。
それから祭りが来て、遷宮にみんながたいそうに着飾って参りなさるのだって。
ところで、その長者の家にお嬢さんが一人あったのだって。そうしてちょうどそのときそのお嬢さんは具合いが悪くて、氏神さんによう参りなさらなかったのだって。
そうして、灰坊もいくらしたって、「参らん。」「わしゃ参らん。」「参らん。」と言って参ろうとしない。
そうしたら、みんな参られた後から、灰坊も、「おらもほんに参らかい。」と思って、湯に行って、きれいにきれいに月代(さかやき…江戸時代、男子がひたいから頭の中ほどにかけて頭髪をそった、その部分)をそって髪を結ってきれいにきれいにするところを、ちょうどお嬢さんが、「うちには灰坊てえ者がおおていいが、どげな者だらあかい、見ちゃらかい。」と思って、そろーっと覗いて見られたら、何が灰坊だらあに、きれいなきれいないい若衆だって。
「ああ、こらま、ええ若衆がおおわ、灰坊だなんてみんなに言われちょうだども、ほんに、こら、わが婿にしたらよからに。」とお嬢さんが思ったのだそうな。
そうしたところが、ついよけいに具合いが悪いようになってしまったそうな。
灰坊はそれから馬を出してその馬に乗って参って、ぐるーっと宮巡りして見たら。参っている者はいい若衆を見てみんなびっくりしたげな。
「なんと、どこの若旦那だらか、見たこともにゃ美しい若旦那だ。」
「どこのだらか。」「どこのだらか。」と言ってみんなが見ていたのだって。それから灰坊はぐるーっと回って、そうしてから、また家へ帰られたそうな。
そうしたら、お嬢さんは、「今んごろもどうやなころだが。」と思って、また、ちゃーんと見ておられたら、本当に門を入るときには後光が射すようないい男だったって。それから、お嬢さんはなおさら具合いが悪くなってしまわれたのだって。
みんなは、「灰坊、なして回らだったりゃ。わりゃ、ほんに。どこの若旦那だいら、りっぱなりっぱなこしらえして、そげして参って来なはった。みんながあきれちょったが、どこの若旦那だらか。」と言っている。
灰坊はもどってからは、また、顔に灰をつけたり炭をつけたりして、知らん顔をしていたのだって。
それから、上がってみられたら、嬢さんがよけいに悪くなって旦那さんやかみさんが本当に困っておられるのだって。
「ま、困ったことだ。どげつうことだらかい。」と言っていたら、ちょうどそのとき、八卦見(はっけみ)が通ったので、それで、「その八卦見に診てもらいましょうや。」と言って診てもらったら、「こら他の病気だにゃ(ない)、なんぞこの家の中にわが婿にしたらよからにと思いなはあ衆があって、そぉでよけ具合いが悪いだけえ、そのものを婿さんにしなはりゃ治ります。」ってその八卦見が言ったって。
「そげなこと言ったって、だれそれ言えへんだが、ま、どげしたらえだらか。」て言って聞いたら、八卦見が、「ようにようにこっさえさせ(着飾らせ)まして、手代も男衆もみんなぐるーっとここに座らして、嬢さんに銚子杯を持たしてあげて、その嬢さんが杯差しなはった者を婿さんにしなはりゃ治うます。」と言ったのだって。
そうしたら、「ほんなら、ま、はや、みんながおらが婿になあだらか。」「おらが婿になられえだらか。」と思って、みんなが遷宮に行った着物を着て袴をはいて座っておったら、お嬢さんはなんーぼしたって、杯を差されないのだって。
「あら、まんだ灰坊がおらんがな、ま、あれを呼んでみよう。」
それからに手代が灰坊を呼びに行ったのだって。
「はや、わあも来い。」
「何が、おらがようなものが行きたっていけましぇん。」と言って、どうしても「上がらん。」と言うのを、やっとのことで引っ張りあげたのだって。
そうしてここまで引っ張り上げられたら、お嬢さんはすーっと表の奥から銚子持って杯持って出て、その灰坊に差しなさった。
本当にみんなが、「灰坊だ、灰坊だ。」と言って、びっくりして逃げてしまったげな。
そこで、「はや、旦那さん、ずんどええ旦那さんの着物を出しなはい。袴や羽織を。」と言ったところ、灰坊は、「いや、わしゃ持っちょうますけえ。」と言って、さあそのお宮さんに着て参った着物や袴を出して着て、きれいにきれいにまた髪をそって整えたら、よい男になって本当に若さんになったのだって。そうしてその入日長者の婿になったのだって。
それで、その嬢さんの具合いの悪いのが治るしして、その家はとてもよく繁盛したのだって。
その昔こっぽちゴンボの葉。(語り手:明治30年生まれ)
解説
この話は関敬吾『日本昔話大成』で見ると、本格昔話の「継子譚」の中に「灰坊」として登録されているものである。