昭和56年(1981)8月24日、八頭町船岡で採集
歌詞
和尚さん 和尚さん どこ行きなんす わたしは丹波の篠山に
そんならわたしも連れしゃんせ 子どもの道連れ邪魔になる
この和尚さんはどう欲な それなら後からついて来い
転ぶなよ すべんなよ あら和尚さん こけました
おまえの性根はどこにある 腰からスト-ンと抜けました(伝承者:昭和15年生)
解説
鬼遊びの中の「目隠し鬼」でうたわれる歌の一つがこれである。まず、その遊び方を説明しておく。
鬼になった子供が一人、しやがんで目隠しをする。そのまわりを他の子供たちが輪になって手をつなぎ、この歌をうたいながら回るのである。歌の終わったところで鬼は目隠しをしたまま、自分の後ろの子供を手で探ってその名を言い当てる。うまく当たれば鬼はその子と交代、当たらなければ再び遊びをくり返す。現代の子供たちにも、この系統の歌はうたわれているようだ。
なお、この遊びについて、柳田國男はその著『小さき者の声』(角川文庫ほか)の中で、昔の神降ろしの信仰の模倣から出たものであると述べている。
ところで、この歌を眺めてすぐに思い出されるのが「坊さん坊さんどこ行くの」とうたい出される歌であろう。島根県木次町の場合を挙げておく。
ぼんさん坊さん どこ行くの わたしは田圃へ稲刈りに
ほんならわたしも連れてって おまえが来ると邪魔になる
こんなぼんさん くそぼんさん 後ろの正面 だぁれ(伝承者:昭和15年)
これには「中の中の小坊さん」「かごめかごめ」などの歌が見られる。後者の「かごめかごめ」の方は、あまり地方的な違いはないので、事例を省略し、「中の中の小坊さん」について紹介しておく。まず鳥取県郡家町の例。
中の中の小坊さんは なんで背が低いやら
えんまかじわら いしゃしゃにこごんで 後ろの正面 だぁれ
(伝承者:大正4年)
また、島根県大社町では、
中の中の小坊さんは なぜ背がひくいやら
エンマの腰掛けに ヨチヨチしゃがんだ
一皿 三皿 四皿 目の鬼がヤエトを連れて
アテラか コテラか 金仏(伝承者:大正7年生)
こうなる。この「ヤエトを連れて、アテラか、コテラか」については、意味不明であるが、鳥取県日南町ではこの部分が、「お馬(んま)の蔭でヤイトをすえて、熱や悲しや…」となっていることから、大社のこの部分も、本来は「ヤイトをすえて、熱や悲しや金仏」であったものが、いつの間にか変化したと推定されてくる。