歌詞
一かけ 二かけ 三かけて 四かけて 五かけて
橋をかけ 橋の欄干手を腰に はるか向こうを眺めれば
十七、八のねえさんが 片手に花持ち 線香持ち もしもしねえさんどこ行くの
わたしは九州鹿児島の 西郷隆盛娘です
明治十年三月三日 切腹なされた父上の お墓参りにまいります
お墓の前で手を合わせ 南無阿弥陀仏と拝みます
拝んだ後から魂が フーワリフワリと じゃんけんぽん(歌い手:昭和22年生まれ)
解説
手合わせ歌としたが手まり歌としても使われている。内容は西南の役に関係している。西郷隆盛が城山で自殺したのは明治10年(1877)9月24日であるが、伝承わらべ歌の特色でそこはまったく事実と異なっている。しかし、この事件がきっかけでこの歌は生まれたものであろう。類歌は各地で歌われているようで高齢の方には懐かしい歌であろう。島根県の江津市桜江町川越のものを挙げておこう。
一かけ 二かけ 三かけて 四かけて 五かけて 橋をかけ
はるか向うを眺むれば 十七・八の小娘が 片手に花持ち線香持ち
これこれねえさんどこへ行く あたしは九州鹿児島の 西郷隆盛娘です
明治五年の戦争に 討死なされた父上のお墓参りをいたします
お真の前で手を合わせ なみあみだぶつと目に涙
もしわたしが男子なら 日本大学卒業し イギリスことばも習わせて
梅にうぐいすとまらせて ホーホーホケキョと 鳴かせたら
とうさんどんなにうれしれろ(歌い手:昭和34年生まれ)
ところで、この歌の前身とでもいうような歌が、八頭郡智頭町で見つかっているので、次に紹介しておこう。
一かけ 二かけて 三かけて 四かけて 五かけて
橋かけて 橋の欄干に腰かけて はるか向こうを眺むれば
十七、八のねえさんが 片手に花篭 線香持つ ねえさんどこよと尋ねたら
今日は浪ちゃんの墓参り 一段上がればホロと泣く 二段三段血の涙
玉子のような顔をして 紅葉のような手を合わせ
死んでかたきが討てますか 死んでかたきは討てませぬ(歌い手:明治40年生まれ)
徳富蘆花の小説「不如帰」に題材を得て作られたもの。この小説は明治31年(1898)11月から翌年5月まで『国民新聞』に連載されたものである。したがって、この歌の成立も前に紹介した「一かけ二かけ三かけて」と同様、明治以降であることが分かるのである。