歌詞
お月さんなんぼ 十三ここのつ そりゃまんだ若い
若もござらぬ いにとうござる
いなはる道で 尾のない鳥が 油筒ぞろぞろ飲んで よい子を生んで
お万に抱かしょか お千に抱かしょか
お万は油屋の門(かど)で 滑って転んで徳利(とく)投げた(歌い手:明治44年生まれ)
解説
仲秋の名月ごろから、月の美しいシーズンに入る。そのようなときにこそこの歌はふさわしいように思われる。
澄み渡った秋空のもと、幼子をあやしながら物語風なこんな子守歌をついうたいたくなる。各地に「お月さんなんぼ…」で始まる歌はあるが、鳥取県では因幡地方と伯耆地方では、かなりはっきりした特色を持っている。大山町のこの歌は、もちろん伯耆地方の特徴を備えている。
端的にいえば伯耆地方では「そりゃまんだ」若いな」や「尾のない鳥」、「油筒くわえて」がついているのである。それに対して因幡地方では、「七織り着せまして」の詞章が入っている。実例を眺めておこう。鳥取市福部町湯山では、
お月さんなんぼ十三ななつ 七織り着せまして 京の町に出いたらば
鼻紙落とし 笄(こうがい)落とし 鼻紙 花屋の娘がちょいと出て拾って
笄 紺屋の娘がちょいと出て拾って 泣いてもくれず 笑ってもくれず
とうとうくれなんだ(歌い手:明治39年生まれ)
実はこの歌は江戸時代の中期には存在していたもので、鳥取藩士だった野間義学が著した『筆のかす』という鳥取のわらべ歌を集めた書物に出ている。彼は1元禄5年(1702)に家督を継いでいることが分かっているから、その当時、すでにこの歌が多くの子どもたちに支持されていたと推定される。それは次のようになっている。
お月さまなんぼ 十三 七つ なヽおり着せて 京の町に出いたれば
笄落とす、 はな紙落す かうがい紺屋が拾ふ はな紙はな屋が拾ふ、
泣いてもくれず 笑ふてもくれず
何ぼ程な殿じゃ 油壷からひき出いたやうな 小男々々
はっきりと「七織り着せて」が入っている。したがって、まさに城下町であった現在の鳥取市でうたわれていたことが分かるのである。このタイプは少なくとも東の京都まではたどることが可能である。一方、伯耆地方のものは、西の島根県出雲地方まで続いている。ただ、同じ伯耆地方ではあっても、東伯郡各地の歌だけは、伯耆地方の特色を持ちながら少し違っているのが面白い。