歌詞
勝って逃げるは 殿さんの頭(かしら)
負けて逃げるは 大根の尻尾(しーぼ)(伝承者:明治26年まれ)
解説
軽い言い争いなどをして、相手を言い負かしたときなどにうたう凱旋歌である。山陰両県でよく知られており、少し年代の高い方々には懐かしい歌であろう。ただ、これまでのところ、わたしは鳥取県内だけでしか録音していない。まず、県東部の八頭町の歌を見よう。
負けて逃げるは 大根の尻尾
勝っておるのは 大庄屋(伝承者:明治41年生まれ)
続いて県中部の三朝町で聞いたものである。
負けて逃げるが 大根の尻尾
勝って逃げるが 殿さんの頭(かしら)(伝承者:明治40年生まれ)
これは初めに紹介した大山町の歌の詞章と、前後の順番を入れ替えただけである。県中部と県西部の距離の近さが、この伝承歌を最低の変化でおさえているとでも考えればよいのであろうか。
一方、県東部の八頭町の歌の詞章は、多少違い、勝った方は逃げずにそこにおり、それも「殿さんの頭」としてではなく「大庄屋」と表現されている。負けた方は「大根の尻尾」とするのであるから、昔から、大根の尻尾は、役に立たないくず物と考えられていたらしい。
いずれにしても勝った方の形容は、江戸時代あたりの社会でトップの階級である「殿様」とか「庄屋」に位置づけてたたえるところが、いかにも昔の凱旋歌らしい。
さて、島根県の方はどうかといえば、わたしの小学校時代は、たしかに大山町タイプの歌を、うたっていた記憶がある。手元に松江市殿町にお住まいだった石村春荘氏の著書『出雲のわらべ歌』(自刊)があるので、捜してみたら105ページに、松江市の明治時代の歌として出ていた。
勝つて逃げるは 殿さんのかしら
負けて逃げるは 大根のしりぼ
「しりぼ」はもちろん「尻尾」の訛り。また解説は次のようである。「けんかした時、勝つた方が負けて逃げる子どもにうしろからはやし立てた。城下町の名残のうかがわれるうたである。」
現代の子どもたちからは、多分、もう聞くことはできなくなっていると思われるのであるが、少し前の時代までは、まだ、殿様とか庄屋とかの意味が、身近な存在として理解されていたのである。