語り
昔あるところに修行僧がやって来た。日が暮れかけていたので、ある家へ寄って「泊まらしてくれんか。」と言ったら、家の人は「ここは年の内にゃあよう泊めんけど、奥の山寺にお化けが出るだてって、みんなよう行かんやな寺がある。そこでもよけりゃ行って泊まんなはい。」と言う。
「どっこでもええ。雨露がしのげられりゃ、どっこでもええけえ、泊めてごしぇ。」と言って、その僧は寺へ行って泊まっておった。
そうして、その修行僧が讃を一心に拝んでおられる最中に、何だか上の方がピカピカピカピカ光って、光ったと思っていたら、ドスーンと大きな音がして何かが現れたようなので、僧がのぞいてみたら、大きな坊主が座っておったって。そしたら、外の方から、生温いような風がどーっと吹いてきたと思ったら「テッチン坊、うちか留守か。」「うちでござる。どなたでござる。」「トウザンのバコツ。」「まあ、お入り。」
そうするとまた、坊主が入って来る。そいから、また「テッチン坊、うちか留守か。」「うちでござる。どなたでござる。」と言ったら「サイチクリンのケイ。」「まあ、お入り。」
また「テッチン坊、うちか留守か。」「うちでござる。どなたでござる。」と言ったら「ナンチのリギョ。」「まあ、お入り。」
また、もう一人がやって来て「テッチン坊、うちか留守か。」「うちでござる。どなたでござる。」と言ったら、「ホクヤのビャッコ。」「まあ、お入り」。と言う。
そうして大きな入道みたいなものばっかり五人もおって、ごよごよごよごよ話している。
「何だか今夜は人臭いやな。」と言い出した。
しかし、その修行僧のお坊さんは仏さんを一心に拝んでおられたら、仏さんの教えがあったか、どうかは知らないけれども「ここにおって、噛まれて死ぬるより、いっそ出て、その仏さんの教えられたことを言ってみたろうか。」と思って、襖を開けて出て「テッチンボウと言うのは、この寺を建ったときに使った椿の杵だ。消えてなくなれ。」と言いなはったら、パターンと消えてしまった。
それから「トウザンのバコツちゅうのは、この寺の東の方のすぐ薮だか何だかにおる馬の頭だ。消えてなくなれ。」と言った。
そうするとそいつはパターンと消えてしまうし「ナンチのリギョちゅうのは、この寺の南の方に大きな池があって、そこに住む古い古い鯉だ。」こう言うと、そいつもまたパタンと消えてしまう。
「ホクヤのビャッコちゅうのは、この寺から北の方に向かって、広い野があって、そこにおる白い狐だ。消えてなくなれ。」と言ったら、またパタンと消えるし、みんな消えてしまったって。
そうしているところに、夜が明けかけてきたら、村の人が「また、あの坊主も噛まれてしまっただらぁか、どがにしとるか行ってみたれ。一人や二人ではいけんけえ、みんな村中行ってみたらぁ。」と言って、村の衆みんなで寺へ上がって「何ぞが出りゃせなんだか。」って言うと、修行僧は元気でおったそうな。
そして修行僧は「出たとも出たとも。今日はまあ、捜いてみてごしぇ。」と言いなさるので、梯子をかけてアマダへ上がってみたら、アマダの隅からピッカピッカピッカ光るもんがある。
「あれがテッチン坊だ。」と言ったのはよかったけれど、とてもこわいので、「おまい、先行け。おまい、先行け。」と言いあっていたが「いっしょに行かぁ。」ということになって行ってみたら、ほんとに椿の杵だったそうです。それを下へおろして割ったところ、精が入っていたので血が出たそうな。それでお坊さんが「椿の木では藁打ち杵はするんじゃない。精が入っておったんだから。」と言ったそうな。それから、ずーっと村の人が捜し回って、南の方の池を干したら大きな鯉がおったので、そいつを捕ってきたり、北の方に行って、昼寝している狐を捕まえてきたり、まだ西の方に行って竹薮の中に古い鶏が一羽おったのを捕ってきたりして、それを肴にみんなで盛大に酒盛りをしたそうな。
そのうち修行僧がみんなに「なんとこの寺を、わたしにくださらんか。」と言ったら「いや、あげますのなんて、ここで信心してごされりゃあ、喜んでおまえさんにあげます。」ということになった。そしてそこはりっぱなお寺になったという話。こっぽり。
(伝承者:女性・明治35年生)
解説
この話は、関敬吾博士の『日本昔話大成』によれば本格昔話の「愚かな動物」の中に位置づけられている。