語り
昔あるときになあ、よい家が猫を飼っているし、それから鶏を飼っていたりしていた。 ところが、その猫が言うには「毎晩、この家の旦那さんは夜、魚を食うてご飯を食べられる。そいで、魚を食うて酒飲んで、旦那さん殺いたら、うららあにあの魚が回ってくるになあ。」と言うものだから、鶏は「うらぁ外におるもんじゃけえ、そんなことを知らんが、おめえはまあ、家ぃおるもんじゃけえ、そぎぇなことをよう知っとる。そいじゃけど旦那さんを殺すいうことはできんこっちゃなあ。」て言えば「何がやすいことじゃ。うらの尾っぽい毒ぅちょっとまぶって、とにかく猫の尾っぽにゃ毒があるけえ、それを魚いちょっとまぶったら、それを毎晩食べるじゃけえ、旦那さんが死ぬる。」
「まあ、そんちゅう恐ろしいことを、ほんにどぎゃあどして旦那さんに知らしてあげたい。」と思う一念で、毎晩、「コケコーロー。」とずうっと喉を震わして雌鳥が鳴くのだそうな。そうすると、とても気持ちが悪い。
「夜さり、鳥が鳴くいうことは、何ぞの知らせか、まあ、火事の知らせかなんぞの知らせじゃ思うて、気味が悪うてこたえん。長年飼うとる鶏じゃけえ、そいじゃけえ、むいて自分が食べることはようせんしするけえ、こりゃあでもしかたぁない。山へ持っていって捨てるじゃわ。」と言って、その雌鳥を一羽、山へ持っていって捨てたのだそうな。
そうしておったところが、六部さんがそこを越しておられたら、その尾根から「まあ、頭に上がったじゃけえ一休み。」と言って、その尾根で休んでおられたら、よく見れば雌鳥がパタパタパタパタして出てくるので「まあ、これは家のないとこに鶏がおる」と不思議に思っていたら、ずっともう伸びあがって雄鳥が鳴くように喉を震わして…
野佐(ぬさ)の淀山さんを猫が取るーコケッコーコケッコー
野佐の淀山さんを猫が取るーコケッコーコケッコー
と雄鳥が鳴くように鳴くのだそうな。
「まあ、こりゃ何ちゅうこっちゃ、『淀山さんを猫が取る』言うて、確かに『猫が取る』言うたがよう。」と六部さんは思って、そうして気持ちをせかしながら降りて村で問ってみると「淀山さんならありますよ。そこの家が淀山さんじゃけえ。」と、その家を教えてもらったので、それからその家へ行って、話したところが「はーあ、そうかそうか。そりゃあうちから捨てた鶏じゃあ、そうかそうか、まーあ、そりゃあそりゃあ、そんなことを知らしてごしたちゅうよな鶏を捨てたいやなんや、ほんにまあ、猫も長年飼うたもんじゃし、鶏も長年飼うたもんじゃけど、鶏は何いっても夜中に鳴くと気味が悪うて、ほんに何かの知らせじゃろう思うておったんじゃ。確かにうちから連れてった鶏じゃ。」と旦那さんが言ったそうな。それから「鶏を早う連れてもどれ。」と言って、鶏を連れてもどってから「まあ、ほんにおまえが知らしてごしたじゃか。六部さんが来て、こうこう話いて聞かされた。」と言って話していたら、それを縁の下から猫がじいーっと聞いていたのだそうな。
それから「そげえなざまーぁふって、この極道猫が。」と床の下へ竹竿の先を切って削って、竹を槍のようにしてつついていたら、猫の目の玉へ突き刺さってとうとう死んだそうな。
「まあ、極道猫じゃぁあったけど、それでも長年飼うたもんじゃけえ、川へ投げたり山へ投げたりせっと、その畑の隅のようなとこへ、まあ、深い穴ぁ掘って埋けたろうや。」と言って深い穴を掘って埋けられたのだそうな。
そうしたら、その明くる年にそこからカボチャが芽を出して、蔓ができ、何貫目もあるような大きなカボチャができて、見たこともないようなものだったから、見せ物になって、みんなが見に来たのだそうな。
「それだけれども、このカボチャが、種もないのにこんなとこへ生えるいうことはおかしい。」と言って、そこを掘ってみられたら、猫の目の玉からカボチャが生えとったのだそうな。そればっちり。(語り手:明治40年生まれ)
解説
この話の中に出てくる野佐という地名について語り手におたずねしたら、四国にある地名のような気がするとの答えだったが、詳細は分からない。関敬吾『日本昔話大成』で、その戸籍を捜してみると、どうやら二つの話が一つになって変形しているようである。いずれも本格昔話に属していて、一つは「動物報恩」の中の「鶏報恩」であり、いま一つは「愚かな動物」の中の「猫と南瓜」になると思われる。