歌詞
向こうの向こうのススキ原 親がないかや 子がないか
親もござるに子もござる その子に離れて十五日 十五日参りをしょと思って
姉さん父さん ちょっと寄って 姉さん姉さん かたびら一枚貸してえな
あるのにないとて貸せなんだ 大腹だちや 大腹だちや
西の紺屋に一反と 東の紺屋へ一反と 染めてくだされ紺屋さん
染めてあげます何色で 紺と石蝋に染め分けに 染め分けに ちょいと百ついた
(歌い手:明治12年生)
解説
手まり歌の中には、どこかわびしい内容のものがときおりある。この歌もそのような一つであろう。ただ、内容は子どもの歌特有の連鎖反応的なつながりで、次々と話題が転換してゆくので、最後のところでは、特にわびしさの伝わってこないところがおもしろい。
ところで、伝承者の住所は、鳥取市福部町左近であったが、ご出身は近くの兵庫県美方郡浜坂町である。したがって、あるいは鳥取県東部として紹介したこの歌は、兵庫県のものとした方が適当かも知れない。ただ、鳥取県内でもよく似た歌があるので、鳥取市の歌として紹介した。
そのような類歌は、中部の倉吉市に次のように存在している。
向こうお山の白ツツジ親がないかや 子がないか
親もござんす 子もござる 殿御に離れて今日七日 七日と思えば十五日
十五日(じゅうごんち)参りをしょと思(おも)て おばのところに かたびら一枚借りにったら
あるのにないとて 貸さなんだ やれやれ腹たつ 腹がたつ
西の紺屋(こうや)に一反と 東の紺屋に一反と 染めてください紺屋さん
染めてあげます 何色に ウコンに紫 浅黄色 浅黄色
両者を比べて見ると、確かによく似ている。距離が離れていながら、どのような経過でこれらの歌は伝承されるのか、いつの間にかちゃんと伝えられ、その土地に根を下ろしてしまうのである。その不思議さを考えるにつけても、このような伝承わらべ歌の世界から、私はなかなか抜け出せないわたしなのである。
昭和56年(1981)10月9日、鳥取市福部町左近で採集
歌詞
向こうの向こうのススキ原 親がないかや 子がないか
親もござるに子もござる その子に離れて十五日 十五日参りをしょと思って
姉さん父さん ちょっと寄って 姉さん姉さん かたびら一枚貸してえな
あるのにないとて貸せなんだ 大腹だちや 大腹だちや
西の紺屋に一反と 東の紺屋へ一反と 染めてくだされ紺屋さん
染めてあげます何色で 紺と石蝋に染め分けに 染め分けに ちょいと百ついた
(歌い手:明治12年生)
解説
手まり歌の中には、どこかわびしい内容のものがときおりある。この歌もそのような一つであろう。ただ、内容は子どもの歌特有の連鎖反応的なつながりで、次々と話題が転換してゆくので、最後のところでは、特にわびしさの伝わってこないところがおもしろい。
ところで、伝承者の住所は、鳥取市福部町左近であったが、ご出身は近くの兵庫県美方郡浜坂町である。したがって、あるいは鳥取県東部として紹介したこの歌は、兵庫県のものとした方が適当かも知れない。ただ、鳥取県内でもよく似た歌があるので、鳥取市の歌として紹介した。
そのような類歌は、中部の倉吉市に次のように存在している。
向こうお山の白ツツジ 親がないかや 子がないか
親もござんす 子もござる 殿御に離れて今日七日 七日と思えば十五日
十五日(じゅうごんち)参りをしょと思(おも)て おばのところに かたびら一枚借りにったら
あるのにないとて 貸さなんだ やれやれ腹たつ 腹がたつ
西の紺屋(こうや)に一反と 東の紺屋に一反と 染めてください紺屋さん
染めてあげます 何色に ウコンに紫 浅黄色 浅黄色
両者を比べて見ると、確かによく似ている。距離が離れていながら、どのような経過でこれらの歌は伝承されるのか、いつの間にかちゃんと伝えられ、その土地に根を下ろしてしまうのである。その不思議さを考えるにつけても、このような伝承わらべ歌の世界から、私はなかなか抜け出せないわたしなのである。