語り
昔あるところに姑さんと嫁さんと仲が悪うて、こりゃ日本どこへ行ってもあることだけど、いろいろ話が衝突しよったら、そのうちになあ、春先の彼岸が来るようになって「はあ、もうすぐヒガンだ。」って姑さんが言いなったら「ありゃあ、お母さん、ヒガンではない、ヒイガンだ。」言うて「ヒガンだ。」「ヒイガンだ。」って「そがなことなら、お母さん、お寺へ行って和尚さんに聞いてみようだないかいな。」って「おう、それ、それ、それに頼まにゃいけん、和尚さんはよう知っとりなはるだけえ、和尚さんに聞いて、そっで和尚さんは、こがあにって言いなはったらなあ、どっちの分も文句を言わんぶんにしよう。」って。
で、そういう話につけといて、そいからまあ、嫁さんは野良仕事に出んならんけえ、出とる。
その後へ母さんの方がお寺へ行った。
木綿を一反と米を一升持って、お寺へ参って「じつは和尚さん、こういうわけですが。」「うーん。ようあることだけえなあ、うん、よしよし、分かった、分かった。ええ仲裁したるわいや。」てって、姑さんはもどるし、そいから何日かおいて、嫁さんが行って、そいから「和尚さん、こういうわけだ。」「うーん、こないだお母さんが来て言うとったわい。よしよし、分かった、分かった、ええあんばいに仲裁するわいや。」ちって、そいから「まあ、おまえらちなあ、姑さんといっしょに話ぅ決めて、いっしょに来にゃあ一人ずつじゃあいけんけえなあ、いっしょに来いよ。」それで嫁さん、帰って。
それから、今度、もう日にちを決めてお寺へ参って「じつは和尚さん、こういうわけですじゃが。」「うんうん、分かった、分かった。このものはなあ、所ぃよっていろいろあるけど、まあお寺の方から言うとなあ、これはお寺の仕事だけえ、これはお寺の方から言うとなあ、このことは一週間あって、前の三日が『ヒガン』、後の三日が『ヒイガン』、その間に一日『中日』いうもんがある。その中日にゃ、木綿が二反と米が二升持って参るやになっとるだけえなあ、みんなその都合に考えとれよ。」って和尚さんが仲裁したって。昔こっぽり。(語り部:明治40年生まれ)
解説
関敬吾『日本昔話大成』の話型では笑話の「愚か嫁」の中にある「姑の毒殺」に該当している。