語り
昔々、あるところに、大変なだぁず子がおったふうだ。
そのだらずに親が「おまえ、今日は何ぞ、この茶と柿と栗と売りに行きてこい。」と言って出したところが「なんだい、一つだい売れだった(一つも売れなかった)。」と言ってもどって来た。
「なんでそげに一つだい売れだったてえことがああへん。どこに行って売って来た。」と言ったら「人の一人だい通っとらんとこ歩いた。」「そら人のおらんとこ歩いたら、だれんだい買ぁてごすもんはおらへんが、ほんならもっと人のいっぱいおおとこで売って来い。」と教えたそうな。
それで今度は人のいっぱいいるところへ行ったそうな。
「今日もまた売れだった。」「おまえ、今日もにぎやかなとこで売ってきたか。」と言ったら「うん、にぎやかなとこで、人がいっぱいおった。」「どげなとこだったか。」て言ったら「人の死になって(亡くなられて)、葬式のとこだった。」と言ったそうな。
「そら売れんはずだわ。まあ、そらもっと人通りの多いあたりまえのとこで売らないけん。ほんなら売ってきない(きなさい)。」と言って。そうして「また売れだった。」って。
「おまい、いったい、どげ言って売りに歩いた。」て言ったら「茶と柿と栗だけえ、『茶栗柿麸(ふ)。茶栗柿麸』言って歩いた」と言った。
「そげなこと言やぁ、何言っとうだい分からんけえ、茶は茶で別々に、栗は栗で別々に、柿は柿で別々に言わさい。麸は麸で別々に言わな分からん、『茶栗麸』ではなあ…。ほんなら今日も行きてこい。」
また戻って「今日もまた売れだった。」「どげ言って売ってきた。」て。
その子は「茶は茶で別々。栗は栗で別々。柿は柿で別々…と言って売って歩いた。」と言う。
「そら売れんはずだわい。そげなだぁずげな売り方はああへん。」っていう、とんとん昔の物語。
(語り部:大正7年生)
解説
この「だぁず子」というのは、共通語に直せば「バカな子」ということになる。類話は広く各地に伝えられている。そしてこの話は、関敬吾著『日本昔話大成』で見ると、笑話の「一 愚人譚」の「B 愚か聟(息子)」の中に「茶栗柿」として存在している。