語り
昔々、とても大きな長者があったいう。
長者は非常に昔話が好きだった。また、その長者の家には、一人娘がいて、婿を取ることになったって。それでそこらあたりには適当な婿がいないので、大きな立て札を出して、
「ここの長者に婿がいる。昔話をこれでええ、もう飽いてしまったというほど語ってごすもんがありゃ、婿にもらうだ。」と書いておいた。
そうしたところ、道中の者が「あの、がいな長者の婿になれるだがなあ。よし、おれも昔話なら相当知っとるぞ。」というところで「こんにちは。今、この立て札を見て来たもんですが。」と言ったら「ああ、どうぞ、どうぞ。」と奥の間に通して、長者は今日も今日もと一週間、止む間なしに続けさまに昔話を聞いたげな。
そうしたところが、一週間で済んでしまった。しかし、そこの長者は「もう、ええ。」とは言われないのだいうて、それで、その男はだめで、また次の人が「ああ、何とこれには婿がいるのだって。よし、おれも昔話は相当知っとるが、飽きるほど言ったれ。」と思って「こんにちは。何と昔話、語りゃええそうですが。」
「ええ、どうぞ、どうぞ。」ということで、また、その男も十日で済んでしまった。とうとうその男もだめだった。
それから三人目のが来たが、それもうまく行かなかった。
これまでは一番長いのが三十日、つまり一ヶ月話したというが、まだ長者は「こっでええ。」と言われないんだって。
そうしていたら、あるとき、何人目かに、「こんにちは。」と入って来て、何と半年も語ったけど、やはり長者は「こっでいい。」とは言われないので、困ってしまった。
「もうないだが、何と言ったろうかい。」と思って、もう根負けしてしまいかけたが、一つ思い出した。それは、名和長年という者が、昔ここ御来屋におったというが、その男の話をしたら、長者は「こっでええ。」と言われるだろうと思って話しだしたげな。それは名和長年が後醍醐天皇を迎えたときに、何と蔵の中に米をどっさり積んだという。その米に二十日鼠がついたと。そうしたところが、二十日鼠というものは、これだけの小さなものなので、一粒くわえてチョロチョロと逃げ、また一粒くわえてチョロチョロと逃げ…と一年も同じことを言っただって。とうとう「まんだ済まんか。」てその長者が怒り出したいって。
「まあ、待ってつかんせえ、ごぉつうこと、蔵に米が積んてあった。これ十年経ったてて済みゃあせん。一つわて持って逃げる…。」長者を「もう、こっでええ。」と言わせなければならないので、男は「二十日鼠がチョーロチョロ、一粒くわえてまた逃げた。また、ごそごそ来て、チョロチョロとくわえてチョロッと逃げたって」とやっぱり何ヵ月も言ったのだって。
「まんだ済まんか。」「まんだまんだ、とてもとても。」とうとうしまいに長者は「こっでええ。」と言われ、その男がそこの婿になったのだって。人はこのように知恵がないといけないということです。(伝承者:明治40年生)