歌詞
ウンカ虫送れ
ウンカ虫送れ(伝承者:明治28年生)
解説
稲作で害虫による被害を受けるくらい困ることはなかった。農村では多くはウンカを害虫の対象として、その退散を願って虫送りをした。後藤さんの話では、この虫送りを自分の田圃で松明をとぼして行ったという。
ところで、ウンカは平家の武将だった斎藤別当実盛が、稲の株に足を取られ転倒したところを敵に討ち取られたため、その怨霊が成ったものであるとの俗信があり、中には実盛の名称が歌に入っているのもある。鳥取県西部地区の伯耆町では、単純に「ウンカ虫送れ」とうたいながら、虫送りを行った。
この歌の多くはストレートに「稲の虫」という場合が多いようであり、東部と中部で複数存在しているが、それも単純にうたう三朝町のものから、やや複雑なものまでいろいろなパターンがある。まずは単純なものから見ておきたい。三朝町の歌である。
送った 送った
稲の虫 送った(伝承者:明治35年生)
7月に入ったらお宮の門でムシロを敷いて、ご飯を作ったりした。使った茶碗は当屋へ後で返しておいた。そして、田圃を一回りしながらこの歌をうたった。太鼓や鼕をたたきながら盛んにうたったものであるという。同じ家でもご主人(明治40年生)からうかがった詞章は後半部の「稲の虫、送った」だけであった。個人による伝承の違いかも知れない。
続いて東部の若桜町のもの。
稲の虫を送って
後さっぱりさらえて
あと繁盛 繁盛よ(伝承者:大正5年生)
鳥取市では、
稲の虫を送った
丹後の奥まで送った
稲の虫を送った
丹後の奥まで送った(伝承者:明治35年生)
伝承者の話では、昼、神主が御幣を持って先頭に立ち、その後を子どもから大人まで村境までぞろぞろついて行くが、そのおりに太鼓をたたきながらこの歌をうたったという。
ちなみに島根県の場合を隠岐島で聞いた歌で紹介しておこう。五箇村のものである。
通れ 通れ 稲の虫ゃ通れ(伝承者:明治35年生)
この行事(虫送り)は八月七日の晩に行ったという。