語り
あるところに佐治谷という、少し愚かな村があって、それで、上の地下(地区)から嫁さんが来ていたので、それで、婿さんは舅さんところに行ったら「まあ、上の地下のおっつあんが酒は飲まはらず、ぼた餅なとして食わしてへんじょうかい(あげようかい)。」と言って、ぼた餅を作るというので小豆煮て下ろしておいたら、五つ六つの子が来ていて、ちょっと蓋を開けかけたりなんかするので、ばあさんが「これこれ、そりゃ、かまうなよ。そりゃオソウソウだけん。」と言って恐がらせなさったのだって。
そうしたところが、小豆をたくさん煮てそれに砂糖を入れて、小豆をぼた餅につけて婿さんに出しても、どうしたって食べられないのだって。
「はや、おっつあん、おっつあん、おまえのごっつおうにしただけん食ってごっさいな。」
「いんや、そげなオソウソはきょうと(おそろしい、の意味)ございます。」と言ってどう勧めても食べないそうな。
「ほんなら、ま、食ってごっさらにゃ、おまえの方の姐は好いちょったけん、これも土産に持っていんじゃってごしなはい」。と言って、重箱によい形にできたのを入れて風呂敷に包んで「これ、持っていんじゃってごしなはい。」と婿さんに言ったら「いんや、おら、そげなオソウソやなんかきょうとござんすけん、なら、竹のオラボ(先の方)につけて、いなって(担って)いにますけん。」と言って、その婿さんは竹の先の方に重箱包みを結びつけて帰って行ったところが、おおかた帰ったところで、ついずるずるーっと竹から重箱包みが滑って、肩の方まで落ちてきたのだって。
すると婿さんは「この極道めが、オソウソめのやつ、おら噛んじゃらと思って落ってきた。」そう言ってから、婿さんはその重箱を竹を持っておいてパンパンパンパンたたいたのだって。
その重箱も割れるし、ぼた餅もえらいことになる、風呂敷も破れるしておったって。
それから、わが家に帰って「行きたら里のかかさんが、ようにオソウソていうものをこっさえて、『食え 』て言いなはったども、おらきょうとてよう食わだった。そげしたら、『わあに持っていんじゃれ』て言わはあで、持っていのうかけたども、『そげなオソソウやなんやきょうといけえ、竹のオラボにつけてごっさい』て言ったら、竹のオラボにつけてごっさった。そこまでもどったら、ようにわあ(自分を)噛んじゃらと思って、おらが首の方へ落ってきたけえ、ようにおまえ気が悪あて、たたき散らかいて破ってしまっちょいちゃった。」と言ったって。
それから姐さんが「まあ、オソウソだなんて、どげなものこっさえて出しさっただらかい。」と思って行って見たげな。
なんと実際のところ、重箱に砂糖ぼた餅がいっぱい入っていたのに、そのようなものを重箱も風呂敷もみんな破って、たたき散らかしておられたのだって。
それを見た嫁さんは「まあ、こなおまえ、きょうとやきょうとや(恐ろしや恐ろしや)。こげなだらずのところにおられりゃへんわい。」と言って、それで、実家へ戻られたのだって。その昔こっぽり。(伝承者:明治30年生)
解説
稲田浩二『日本昔話通観』では「笑い話」の中に「餅は化け物」として分類されている。この話もよく知られており、どなたも一度はどこかで聞いた話ではなかろうか。語り手はみごとな雲伯方言で語ってくださったが、今もそのときの心地よい響きが私の耳に残っているのである。