語り
昔あるときになあ、大きな分限者のじいさんが、欲なおじいさんじゃけえ、その隣にまことに貧しい貧乏なおじいさんがあって、そのおじいさんの屋敷が、自分の家の屋敷続きじゃけえ、まあ、何も惜しいと思うて、まあ、欲なおじいさんで「じいおるかえ」言って「さあ」言って行って「なんと、今夜、庚申(こうしん)さんじゃし、謎をかけるけえ、その謎を、まあ解いたらうらがたって逃げるし、よう解かなんだらおめぇがたって逃げるとしようや。そいでまあ、謎をかけるけぇなあ。そいで『夜中のケンとかけて何と解く』。それをまあ、一つ言うし、そいから『夜明けのキャロとかけたら何と解く』。それをまあ、なんじゃけえなあ、言うけえ、それをもしもよう解かなんだら、おめえがたって逃げないけんぞ。」言うて。
「よしよし、ほんならまあ、そげすうじゃあなあ。まあ、そげえ、じきい言うてもよう解かんけえ、今夜でなしと、明日の朝まで待ってごしぇえ。」言うてなあ、そう言うて謎を解く方のおじいさんが言うたそうな。
謎を解かなくなったおじいさんは「まあ、それがこれをよう解かなんだら、まあ、この難儀な、まあ、小さい家へおっても、ここをたって逃げるいうやあなことは、どこへ行く場もなあに。」と思うてまあ、おじいさんが、まあ、思案して、まあ、今じゃあ考えれんがと思うて、まあ、おじいさんがまあ思案して、まあ、庚申さんを待ちおらぇたじゃそうな。
そうしたところが、そしたら、遅うに庚申さんは、もうみんなが寝静まったころぃ金の杖をついてとっととっと、まあ、入ってこられて「じい、起きとるか。」言うて「起きとります。」「待ってくれたか。ああ、よかった、よかった。」言うて、まあそれから庚申さんがおじいさんとおって、まあしばらくおじいさんの家ぃおって「じい、まあ、いぬるとするけえ、そんなら。」言うたら「そんなら、うらが送って行きます。」言うそうな。
「すまんな。」言うて、まあ庚申さんがいなれたけどな、そしたらまあ、おじいさんがついて行きよったところが、ずっと犬が夜中じゃけえ、キャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンいうて、まあ、犬がずっとせぎよったじゃそうな。ワンワンワンワンいうて。
そしたら「ああ、じい。夜中のケン(犬)が鳴きよらあに。夜中じゃで。もう。」言うて、その庚申さんが言われて、
「ありがとうございます。」言うて、まあ喜んで喜んで、まあ、心のうちにちゃあ、たいへんにうれしいことで、そいからまあ、ずっと行ったところが、そがしたら「じい、夜明けのキャロが鳴きだえたけえ、もう夜が明けるけえ、もういんでもええで。」いうて言われて「ははあ、これは鶏のことかい。」と思って夜キャロ言うたら「ありがとうございます。」言うて、まあ、おじいさんは庚申さんを送って。
「ほんならもういね。もう夜明けのキャロが鳴きだいたら、もう夜が明けるけえ、もういね。」
「そうですか。そりゃまあ、なら、ここまでにしましょうかなあ。」言うて、まあ、難儀なおじいさん、もどったじゃそうな。
そうしたところが、まあ、もどってみりゃあ、まあ、夜が明けるし、まあ、ずっと分限者のおじいさんも「まあ、とってもよう解きゃあせんけえ。」思うて、朝とうから、まあ、さっさで来るししてから、「おい、じい、おるかいや。」言うたら「おお、おる。」言うて。
「どうじゃ。解けるか。」言うて「さあ、そいで、夜中のケンとは犬のことじゃ。」ちゅう。
「ええ。」言うて「そいから、夜明けのキャロとは、鶏のことじゃ。」言うたら「ううーん。」言うて。まんだその小さい屋敷でも惜しゅうて欲ぅかけたじゃけど、まあ、しかたがないじゃけえ、まあ「そうか、ならまあ、約束じゃけえ、しかたはねえわなあ。ほんならまあ、うらがたって逃げるとしようかなあ。」言うて、その分限者のじいさんが、そこをまあ、逃げたそうな。
じゃけえ、まあ、欲しちゃあいけんいうことじゃが。まあ。そんな話ですがな。まあ、そればっちり。(伝承者:明治40年生)
解説
話者によれば、この話はお母さんからお聞きになったと話されていた。関敬吾『日本昔話大成』で戸籍を捜すと、によれば笑話の「巧智譚」「業較べ」の中に「庚申侍の謎」というのが、これに該当するようである。