語り
ある昔あったときになあ、あるところになあ、横着な横着なお母さんがあってなあ。
子どもは育てるがおしめは庭へずっと取っちゃあ、ぼーいとし、神さんの前からでもおしめを取っちゃあ、ぼーいと庭へほおっとき、まあ、ご飯を食べるときからでもおしめを替えちゃあ、庭へぼーいとほおっとき、そうしてだだでだだで、ほんに汚う汚うしてたちよる家があって。
そのうちは、貧乏で貧乏でほんに難儀でこたえん。
さあ、大歳が来たって横着なじゃけん、庭をひとつも掃こうとも、ほんに座敷の戸をひとつも拭こうともどげーもせんしなあ。それから、ちいと離れたとこい分限者がおってなあ、そぎゃーして下男や下女を使うて、下女や下男がやっておるしして、そうしよったら「まあ、大歳にゃのう、きれいにせにゃいけんじゃぜー。」言うて、まあ、おかみさんが言われて、きれいにし、まあ、拭いて、きれいにしたそうな。
そして「きれいにしましたけどよう。」いうて言うたら「ほんならまあ、旦那さんが見てごされりゃええけど。」言うたら「さあ、ほんならまあ、出て見んしゃいなあ。」言うて。
そいからまあ、旦那さんが出て見られたけど「ほんに、みなきれいにしてくれたなあ。これでほんに大歳のような言うが、ほんに大歳のようなええなあ。」言うて、旦那さんもおかみさんも喜んで見てごされたなあ。
庭の隅になあ、ちょっと掃きだめがあってなあ、そぉやぁて「どっこもきれいなけど、そこへちょっと掃きだめがあるがなあ。」いうて言うたら「ほんです。ほんです。」言うて、女中がじきぃ箒と篭を持ってきて、それを取ってしもうてなあ、そしてきれいにしたししたそうな。
そうしたらなあ、貧乏神が言うことにはなあ「もうこのうちにはなあ、どこへおろう、どこへおろう思うて大歳にゃ、まっぽう回りよるけど、このうちにはほんにうらのおるところはねえ、まあ、それでもええうちでもここにゃおれる思うて、そうして庭の掃きだめへ、そけぇ立っとったけれど、その掃きだめを取ってしもうたらおり場はねえ。」言うて出てしまうし、その横着な横着なおかあの家にゃあ、もうずっと何のかんのはねえ、貧乏神がみんな行って貧乏するじゃちゅっだけえ、とにかく大歳の晩にはなあ、もうきれいにしまあいこと、日々が晩のしまいことには、座敷と庭ぁ掃いて掃きだめぇいうことをすんなよ。
「そいじゃけえ、掃きだめを取るじゃで。そいじゃけえ、大歳の一年中の晩のしめぇことと同しこっちゃけえ、掃きだめを取るじゃで」言うて。
そしてなあ、うちでも言いよりました。
「そんな汚ねぇ、そのうちへみな貧乏神が行って、その長者にゃあ、おるところがなかったとや」言うて。
今でも、その大歳の晩にゃ、きちーんとなあ掃いたり拭いたりして、そして掃きだめぇいうことは、ちょっともおかんようにしてなあ、子どもらあにも教えますじゃで。それで貧乏神が、おるとこがなかっとや。
そればっちり。(伝承者:明治40年生)
解説
昔話の中には、それとなく秘められた教育的機能があるが、この話などは典型的な事例だといえる。子どもたちにさりげなくこの話を聞かせて、自然に掃除をしようという習慣を期待しているのであろう。学校制度のなかった昔においては、このような昔話は人々にとって非常に重要な意味を持っていたのである。